2016年12月24日土曜日

お金はどうやったら

 先日年末ジャンボ宝くじが発売になりましたが、テレビで、買いに来た私くらいの年配の女性が、インタビューに、「家が傾きだしたので、何とかしたいと思って」と言っていました。私とおんなじ。でも当たらないのですよね。
 だから、一枚だけ買って、夢を楽しむことにした話はしましたっけ。どうせ当たらないのだから、発表までのおよそ一か月、どうしようか、こうしようかと夢を転がせながら、気持ちを高揚させていると、幸せですが、当たらなかった時の失望もそれなりにあります。でもです、300円ですから、寄付したつもりになってもそれはそれで幸せですよね。腹はそんなに痛まないし、誰かのお役に立てた満足感を感じることができます。傾きだした家のことは見ないふりです。
 この間テレビで子供の貧困の議論をしていましたが、これは今に始まった問題ではありません。わが家の貧乏話は散々しましたが、人に乗せられやすい夫のためにどれだけのお金をバラまいたことでしょうか。散財の話を持ってくる人、陰で「馬鹿だなあ」と思いながら笑っている人、友達と思っていても誰も何も言ってくれません。最も誰が何を言っても、信じてしまっていい気分になっている夫は止められないのでしょう。私や娘たちでさえ止められなかったのです。といって,夫が善人だと言っている訳ではありません。策士策に溺れる。ペテン師は騙されやすいのです。
 そんな風でしたから、わが家は「子供の貧困」の先駆けのようなものでした。私ももちろん働いて返済していくのです。そうしている間に、また散財してくるのです。あの頃を思うと泥沼でしたね。仕方なく、私は自分の仕事を辞めて、夫の仕事を掌握してしまったのですが、それで、内情を分かったうえで親に借りたり、銀行に掛け合ったり、現場仕事を一緒にしたり、やっと全部返済できたときに、親は亡くなりました。迷惑をかけました。
 子供たちに近くでこの悪戦苦闘を見せたくなかったので、アメリカの大学に入れました。あの頃第二次ベビーブームマーでなかなか国公立には入れなくて,円高でドルが安かったのです。それで、何とか親の務めを果たして、そこまでとしてもらいました。
 もう一つ、「タクシードライバーの十年後」というドキュメンタリーも見ました。十年前、北海道根室市の小さな寒そうな借家で、タクシードライバーの女性が夫と子供二人と暮らしていました。二歳下の夫は遠洋漁業の漁師で、帰ってくるのは月に一度、心臓病を抱えながらの仕事でした。でも妻は行くなとは言えないのです。夫婦には望みがあって,新しい家を買って、娘はその家から嫁に出したいと思っていたのです。そのために二人で一生懸命働いていました。
 十年後、郊外に家を買った一家に不幸が訪れていました。二年前、夫が64歳で心臓発作で出稼ぎ先で亡くなっていました。息子は独立し、娘は十年前と同じバス会社に勤めていて、まだ独身、まだタクシードライバーをしている女性と一緒にローンの残る新しい家に住んでいました。二人はお父さんの遺影を見るたびに泣き、お父さんが研いでくれたという包丁を使えないと泣き、優しい心を思い出しては泣き、寒い根室で抱き合うように暮らしていました。
 でも、これ、普通の暮らしなんですよね。私の家も、女性タクシードライバーの家も、貧しくてもまだなんとか食べられたのです。
 今、子供食堂の活動が盛んになっていると言っていましたが、シングルマザーが多くなり、進学どころか食べるのがやっとという生活が増えているということなのでしょう。せめて食べることだけはと誰もが思うのでしょうね。
 「戦後はみんなが貧しかったから」と、お嬢さん育ちでプライドの高かった姑が言っていましたが、今は豊かな人もたくさんいるのに食べるものにも困るなんてと思えてしまうのです。そして,大人はなんとか食べ物を探すのですが,子供は探すすべをまだ知らないのです。