2024年1月26日金曜日

 イベントとプロジェクト

 知り合いの年上の方が言っていましたが、「退屈で早くお迎えが来ないものかと思う」と。彼女は週に何日かフィットネスジムに通っていて、老化によるそれなりの病気はあっても至極元気です。

 わからないこともないです。つまり人生には期待していたことは何一つ起こらないのが現実だからです。正月もないし、来福もない、あるのはただ時間の流れだけとわかったら、老人は、『どうせ何をやっても同じ』と、今までの経験で分かってしまうのです。掃除をして、風呂に入って寝る。食べものだって昔ほどおいしくないのです。

 そこで、湯原昌幸さんのお話を思い出しました。奥さんの荒木由美子さんと『徹子の部屋』に出たときのお話です。結婚直後から20年続いた認知症の湯原さんのお母様の最期を看取り、一人息子も結婚し、初めて夫婦二人きりの生活になって、「どうやって楽しく生きていくかを考えて、年に何回かイベントを企画して実行している」と言っていました。つまり、何か楽しいことを二人でするということのようです。それは旅行だったり、会食だったり、とにかく楽しいことだそうで、記録しているらしく、「今年は31回になりました」とおっしゃっていました。

 つまり、二人以上でするとイベントです。じゃあ、私のように一人のときはどうしたらいいのか、それは『プロジェクトを企画して実行する』ということになるのではないかと思います。

 私の場合は、リフォームです。洋服のリフォームはいつも頭の片隅に置いて実行していますし、先日は、娘と二人で物置のDIYをしました。そのあと、防寒対策で窓にビニールカーテンをぶら下げ、一段落、次はいよいよ、ペンキ塗りか、DIYの壁紙張りか、椅子修理か、やることはいっぱいあります。

 幸いなことに、旅行や外食といったお金がかかっても後に残らないものにはあまり、興味が無くなりました。外食するとてきめんに体重が増えるのは私だけでしょうか。そのあと、二、三日お腹がすいてたくさん食べてしまうのです。また、世界の景色は、今やユーチューブやドラマでふんだんに見られます。

 そういうわけで、いつも不満を引き起こしてくれる古いわが家と山のような古着、意のままにならない体重や健康があると、対策プロジェクトは湧き水のように湧いてきて、退屈している暇がありません。むしろ、あっという間に時間が過ぎてしまいます。老化ということを考えると、これも悲しいですが。

2024年1月16日火曜日

 ユーチューブ勉強、『群れる人と群れない人の違い』

 『そうなのよ』と思いました。まさに私の事を言われているような感じでした。私はそれを通り越して『群れられない人』という感じです。

 時々、こうして『そうなのよ』という表題に遭遇して、『ああ、これって勉強だな』と思います。

 結論からいえば、『群れない人の方が自分を持って生きていける』ということでした。

 でもです。群れられない私でも『洗脳』はあったと思います。それは教育だったでしょうか。文化だったでしょうか。

 例えば、この間書いた『大掃除のはなし』。その後、正月になり、神社の飾りつけをする人たちを横目で見ながら、『ああ、正月か』と思ったものでした。本当にほとんどそういう文化に関心が無くなっているのは歳のせいでしょうか。

 でも、昔から関心がなかったような気もします。昔、『正月は時間の流れの中の一刻にすぎない』と思ったことを思い出します。だから、儀式らしいことに関心がなく、娘が「七草がゆだよ」と言った時も、「え」と思わず叫んでしまいました。『悠久の時の流れになんの変りもないだろう』とか、そういう時、私の頭の中に、宇宙の様が思い出されるのです。『死』もまたしかりです。

 でも、やっぱり、歳のせいもあると思います。歳のせいで洗脳が溶けてきたんです。確かに昔は正月に『来福』を期待して神社に行ったこともありました。宝くじを買ったこともありました。今は全く関心がないですが。

 工藤夕貴さんが言っていましたが、「人生はまるでチョコレートの箱のように、次々にいろんなチョコレートがでてくるものだ」と。『フォレストガンプ』の中の一節だそうです。それは自分が期待していた通りにはならないということですよね。つまり、『願った通りにはならないが、それでもいろいろなことが起こる』ということでしょう。

 『福を求めない』ことと『今を精一杯生きる』ということが正解なのではないかとこの頃思います。

2024年1月14日日曜日

 病気をしない

 寒くなると特に感じますが、体の動きが悪いのです。局所的には足首の動き、全体的には歩きのバランス。夜中の頻尿が加わると、これが老化というものだろうといやでも気づかされます。

 何とか元に戻そうと、ユーチューブのアドバイスを見、運動をして、毎日様子を見ているのですが、現状維持ではあっても、昔の動きにはなれません。『暖かくなれば』と言い聞かせているのですが、今度は暑くなりすぎて参ってしまうのでしょう。

 「でも」、とここで一言。この正月、いつも見ている『とっさんTV』のとっさん一家がインフルエンザに罹ったのだそうです。おととしまで毎年のようにかかっていたとっさんは、『妻と娘を守らなければ』と思って看病していたら、自分自身はかからなかったと言っていました。

 私もそうでした。暮れ正月、隣町に住む娘一家がインフルエンザに罹って、全員ダウンしていました。一昨年のコロナの時は看病に行って私もかかりましたが、今回、暮れ正月を離れてやり過ごしたおかげで、その後病み上がりの娘たちに会っても私たちにまでは菌が届きませんでした。

 というか、とっさんの例を見ていると、とっさんはそれまで何年か罹患していたようですから、抗体ができていたのだろうと思いました。私も以前、インフルエンザで高熱を出して三日三晩寝ていたことがありまして、あれは解熱剤で一度下げてもぶり返すので飲みませんでした。だから、私にも抗体ができていたんだと言っても、娘たちは信じませんが。

 それでも、私も、とっさんの心意気で、『手伝いに行く私まで寝込めない』と思ったのは確かです。咳は出ていましたので、こまめにうがいをして、暖かくし、規則正しく早寝早起きをし、最後は葛根湯も飲みましたが、熱は出ませんでした。

 『無事、これ名馬』という言葉がありますが、私はこれは私の事だと思っています。「私は病気をしないんです」と皆さんにも言っています。この勢いで老化もストップしたいものだと思います。先ずは動脈硬化の予防改善です。そのための運動、食物繊維、温活です。

2024年1月3日水曜日

 アゼルバイジャンの山の中で

 私が食事時にサスペンスドラマを見ていると、娘が嫌がって回してしまう、それがこの『アゼルバイジャンの山の中』のユーチューブ動画です。

 これらは何本かあって、どれも人の手があまり加わらない素晴らしい景色の中で、中年から老年にかけての夫婦や家族がイヌやネコといったペットとともに生活し、家を整え、料理を作り、山仕事に出かけ、畑仕事に出かけ、そこでまた野外料理をするといった日常を映し出したものです。面白くもない日常の労働の動画ですが、それが美しい自然と、アゼルバイジャンという未知の国の人々の生活の流儀と食べものと結びつくと、いかにも新鮮でつい、一、二本は見てしまいます。

 そこに若い人が出てこないのがいかにも自然で、と思って視ているのですが、実際が何歳くらいなのかまったく分かりません。ロシアでの平均寿命が69歳くらいと言っていましたから、ここに出てくる人たちは、見かけより若いのかもしれません。

 で、何が言いたいかというと、ふと思ったのです、ここに住んでいたら、結婚は必ず必要だろうなと。家族や少なくとも家族の思い出なしにこんなところに一人で住んでいたら、どんなに自然が美しくても住み続けることは難しいのでは、いや出来ないと思いました。

 日本や多くの先進国でシングルライフが増えているのは、そこが都市化して、男の仕事、女の仕事の区別が無くなっているせいなのではないかと思いました。一人でも何不自由なく生きていけるのです。たとえば、料理をしたり、暖を取るのに、薪を集める必要はありません。食料を集めるのに、畑を作る必要もないし、家畜を飼う必要もありません。生活は一人ででもできるのです。

 これは幸せなことというべきか、少なくとも老人にとっては幸せなことなのではないかと思いました。

2024年1月1日月曜日

 競争心と虚栄心、人の目

 限られた残りの人生、自分のやりたいことに集中したいのに、集中できないのはなぜか。

 気が散るからです。なぜ気が散るのか。余計なことを考えてしまう。例えば、こんなことをしている自分を、他の人はどう見ているだろうか。ミニマリストが過ぎて、おかしいと思われていないだろうか。特に女性は服装について、私のリフォームに直ぐ気付くだろうなとか。

 それは自分も同じように人の一挙手一投足を見ているからだと気が付いているのですが、身に染みてしまっている人と比較する癖は無意識のうちに出てきてしまって頭を占領してしまうのです。

 原因をいろいろ考えてみたのですが、『私たち団塊の世代は常に競争を強いられてきたから』とか、『人より良く見せたい』とか、競争心とか虚栄心とか呼ばれる、そういうこびりついた考えが剥がそうと思っても剝がれないのです。

 この歳になればわかってはいるのです。今を楽しく生きることが一番大事、今できることを夢中になってする事が満足を与えてくれる、先へ進むのは誰でもない自分だということを。

 若いころから、私は分かっていないで、流されてしまう人間だったけれども、周りには若くしてわかっていた人たちもいたような気がします。そういう人たちは自分の道を切り開けたような気がします。いわゆる、自分の頭で考えて自分の意見を言える人、『地頭のいい人』たちです。