2024年1月16日火曜日

 ユーチューブ勉強、『群れる人と群れない人の違い』

 『そうなのよ』と思いました。まさに私の事を言われているような感じでした。私はそれを通り越して『群れられない人』という感じです。

 時々、こうして『そうなのよ』という表題に遭遇して、『ああ、これって勉強だな』と思います。

 結論からいえば、『群れない人の方が自分を持って生きていける』ということでした。

 でもです。群れられない私でも『洗脳』はあったと思います。それは教育だったでしょうか。文化だったでしょうか。

 例えば、この間書いた『大掃除のはなし』。その後、正月になり、神社の飾りつけをする人たちを横目で見ながら、『ああ、正月か』と思ったものでした。本当にほとんどそういう文化に関心が無くなっているのは歳のせいでしょうか。

 でも、昔から関心がなかったような気もします。昔、『正月は時間の流れの中の一刻にすぎない』と思ったことを思い出します。だから、儀式らしいことに関心がなく、娘が「七草がゆだよ」と言った時も、「え」と思わず叫んでしまいました。『悠久の時の流れになんの変りもないだろう』とか、そういう時、私の頭の中に、宇宙の様が思い出されるのです。『死』もまたしかりです。

 でも、やっぱり、歳のせいもあると思います。歳のせいで洗脳が溶けてきたんです。確かに昔は正月に『来福』を期待して神社に行ったこともありました。宝くじを買ったこともありました。今は全く関心がないですが。

 工藤夕貴さんが言っていましたが、「人生はまるでチョコレートの箱のように、次々にいろんなチョコレートがでてくるものだ」と。『フォレストガンプ』の中の一節だそうです。それは自分が期待していた通りにはならないということですよね。つまり、『願った通りにはならないが、それでもいろいろなことが起こる』ということでしょう。

 『福を求めない』ことと『今を精一杯生きる』ということが正解なのではないかとこの頃思います。