2024年4月18日木曜日

 親方

 工事屋さんが下調べに連れて来た塗装屋さんはとても愛想の悪い人で、挨拶をしてもニコリともせずに頭を下げるだけの人でした。

 二回目に来た時、「ここを最初にやった人は浅野さんという親方でしたよ」と私は思い出したように言いました。そしたら、それまで下を向いて作業をしていた塗装屋さんが、顔を上げて嬉しそうに「浅野さん」と言いました。それだけでしたが、反応があったのです。

 塗装屋さんに反応も挨拶もニッコリもコミュニケーションも必要はないのでしょうが、私としては『つかみはOK』という感じで、なんとなくうれしくなりました。

 浅野さんとは、45年前にこの家を建てたときの塗装屋さんで、もうとっくに亡くなっているとは思いましたが、『きっと知っている』という自信があったのです。なぜなら、あの頃、車二台分くらいのお弟子さんをいつも引き連れて仕事をして回っていたらしいのです。

 遅ればせながらこの年になって、『人間は自分にできると思う仕事をもって、生きていかなければならない』ということをわかり始めて、『学校ではそんなこと教えてくれなかったなあ』と思ったり、『私が考え無しだったんだろうなあ』と反省したりの日々だったので、浅野さんとお弟子さんの関係を思い出すと、浅野さんは自分が体得して得た知識と技術をまるで先生のようにお弟子さんたちに教えて、独り立ちさせていったんだろうなあと思えてきたのです。もちろん肉体労働できつい仕事だから若い労働力も必要だったとは思うのですが、あのお弟子さんたちの多さを見ると、このあたりの塗装屋さんたちは、みんな浅野さんのお弟子さんたちなんじゃないだろうかと思えたのです。

 「うちは、二回目も浅野さんでしたよ」と、水を向けてみたのですが、もう塗装屋さんからの反応はありませんでした。

2024年4月14日日曜日

 減量計画、2か月半、4月14日

 胃のあたりの不調もあって、2月の一か月目は3キロ超減量でき、66,3キログラムでした。

 『臨機応変に』と 自己擁護していた3月は、自分に大甘になって、変化なし。66,3キログラム。それでもリバウンドしなくて良かったです。クマが冬眠から覚める季節は暖かくなり、おなかがすくようです。先は長い。でも春先の不調や胃の不調の軽減にも大甘は必要だったかもしれません。

 屋根工事の四月は、工事前から家の周りの片付けなど、忙しく駆け過ぎて体調を整えるのが精いっぱい。まず食事時間がごちゃごちゃになり、16時間断食はお休みで、できるだけ1500キロカロリー以内というカロリー計算をしました。それと途中から『グルテンフリー』にしました。ちょっと食べすぎて体重戻り気味。

 年寄りは瘦せづらいです。それよりも、3キロ超減ったと喜んでいた不調の二月と大甘にした三月、私の顔はしわだらけシミだらけでした。ユーチューブでしわ対策などもしていたのですが、その効果か、それとも一キロも減らなかった三月の大甘の食事のせいか、四月には徐々にシミが薄くなり、しわも少し浅くなった気がします。月一キロ減るか減らないかと気を揉んでいる程度が適切なのかもしれません。言い訳!

 便秘は相変わらずでしたが、一つ発見、夜よく眠ると、排便にいいみたいです。だから、夜よく眠れるように、頻尿の改善などユーチューブを見ながら体操をしました。高血圧の改善にはサプリメントより猫背を改善して、呼吸を深くできるようにするのだそうです。

 さて、明後日からいよいよ工事開始。一か月間、慌ただしい日々が続くことを覚悟して緊張しています。

2024年4月9日火曜日

 近頃のユーチューブ、グルテン

 ユーチューブには美容とか、ダイエットとか、体操とかがたくさん出ています。私がちょくちょく見るものだから、それらは去る気配も見せず、時には面倒くさいと思うほど次々に現れてきます。

 そんな中、『パンを止めたら、10日ぐらいで3キロくらい痩せた』というのがありました。

 『えええ』と思って、見てみると、グルテンには満腹中枢を馬鹿にする脳内麻薬があるのだそうです。また『えええ』です。だって、パンは便利です。チーズとトマトを乗せればピザになるし、小腹がすいたときに、甘いものを乗せれば、おやつにもお菓子にもなります。卵と生野菜を入れてお弁当に持っていこうともしていました。

 でも、思い当たることもあるのです。私が子供のころ太ったのは、絶対にカレーの食べ過ぎだったのです。それと、私は外食するとてきめんに太るのです。食欲がぐんと上がるのです。今まではそれは化学調味料が使われているからだと思い、家では無添加の調味料を選んで買っていました。でも、外食で私が選ぶのは、ドリアだのピザだの、コロッケだの家で作るのが面倒なメニューばかり。グルテンたっぷりだったのです。

 それと先日の胃腸の不調の時、食べる量がどんと減りまして、体重は下がったのですが、その後少しづつ体調が戻るとともに、おなかも空きだして、パン半分のはずが一枚になって、それでもおなかが空いていました。おなかが空くということは脳の問題で、『わかっていてもやめられない』のです。

 これはいいことを学習させてもらいました。家には、まだパンもあるし、小麦粉もありますが、少しずつ消費量を落としていこうと思い、今日はてんぷらを米粉で作ってみました。作ってしまったジャムはどうしようと考えて、てんぷらに乗せてみました。結構いけます。

パンじゃなくってもいいのです。

 米粉パンという手もあります。市販のルーを使うシチューとか、カレーとか、私はもう作りません。娘が作ったら、少しだけお相伴するだけにしておきます。うどんとかそばとか、幸いにも私は長物は好きではありません。これもお付き合い程度。

 さあ、気を取り直して、人生また出発です。

2024年4月5日金曜日

 工事前十日、四月五日

 振り込みの口座番号も今日までに届いて、工事屋さんも頻繁に下調べに来るようになりました。

 代金は三回に分けて振り込むと言いましたが、さて、いつ第一回目の振り込みをしましょうか。最初は工事開始予定の16日か、その前日の15日にしようと思っていましたが、こう頻繁に下調べが入ると、もう払ったほうがいいかなと思えて、不調だった胃が再びぶすぶすと不平を言い始めました。

 躊躇していたって、もう、私のできることはお任せしてお金を払うだけですから、早めに払ったほうが工事屋さんも動きやすいだろうと思って、できれば今日中に払うことにしました。

 しかし、信用して任せるということがこんなに胃の痛くなるようなことだとは思いませんでした。今回の場合、昔から知っている設計士さんも引き込んであるので、安心しているのですが、それでも、私のように、人とのバランスをとるのが苦手な人は特に、胃は痛くなります。

 こんなことをグダグダ考えている前に、仕事のできる人はサッサと振り込んでしまうでしょう。

 娘のウイークリーマンションもなんとか希望通りの安い価格のものが取れましたし、不安材料はどんどん無くなっていくのですが、それに工期は一か月と短く、一か月後にはきれいに塗装もできた家が見られるわけなのですが。

2024年4月1日月曜日

 私のDIY、弟の塀

 先日、弟が野菜を持ってきてくれた時に、私のDIYのお風呂の扉と物置を見てもらおうと思ったのですが、足の悪い弟は「地下足袋をはいているので、脱げないから上がれない」というのです。で、結局、見ずに帰ったのですが、幸いその時に私のDIYの動画をアップしてあったので、お礼状に「見てちょうだい」と書いたのです。

 その後電話で「見てくれたか」と聞いたのですが、どうやら弟は見てくれたようです。個人の動画なんて、親戚しか見ませんね。

 その時に、「俺の直した塀、グーグルマップで見られるから見てみて」というのです。実家の前の道は 車一台が通れるくらいの道で、すれ違えないくらい細いのです。あそこがストリートビューで、見られるのか半信半疑でした。確かに見られました。弟が自慢していたほど立派ではありませんでしたが、それは言わないことにしましょう。

 さらに「今、裏の道端の植木を抜いて塀をかけることにしてやっているんだ。あと二、三年したらまた載るから」というのです。聞けば、最近転んで足を挫いたと言っていながら、やる気満々でした。

 なんとなくわかる気がしました。跡取りは遠くにいて田舎に帰ってくる見込みはないのですが、やらずにはおれないのです。「気になったら止まっていられないんだ」とも言っていましたが、私もその通りです。やる気が元気の素なのです。

2024年3月23日土曜日

 マンスリーマンション

 仕事を頼みこんだ状態で、次に気になるのは二台しかない駐車場の問題、夜ネットで仕事をしていて昼に寝ている娘の安眠の問題、家工事の煩わしさなどを考えて、外に部屋を借りることにしました。

 ところがです。今まで私は自分で部屋を借りたことなどなかったんだとつくづく思わされました。礼金敷金無し、近くで安いところ、など条件を並べてネットで探して、問い合わせをして驚きました。礼金敷金は無くなっても、初期費用というものがあるのです。保証料、鍵交換代、清掃費用、保険料等、いろいろお題目をつけて、およそ10万円。更には1、2か月間の契約はしないのだそうです。

 普通のアパートはあきらめて、一番最初に気になっていたURの賃貸も見てみました。そこはもっとダメ。収入が家賃の四倍無いと資格がないのです。そうしたら、年金暮らしの年寄りは、門前払いで問い合わせすらできないことになります。改めて、家があってよかったと思いました。

 他にもいろいろ考えたのです。ネットカフェ、近くにあります。ネット使い放題、食事もできる。でも毎日では飽きるでしょう。ジプシー生活、今日はこの町、あの温泉。山の上のキャンプ。これも疲れそう。

 それで行き着いたのが短期滞在型のマンションというわけです。これは近くには無くって、近年沸騰している隣の市にたくさんありました。その中でも安いのを探して、工事期間が決まったら申し込みをしようということにしました。これで昼間寝ている娘の部屋を確保。

 私は夜は家で寝られるので、昼間は外で活動できるのです。で、昔行っていた公立の温水プールを思い出しました。そこにはお風呂と休憩室もあって、半日くらいは時間をつぶせると思っていたのですが、調べてみると、さらにトレーニングルームが新設されたようです。昔そこにはデイケアセンターがあったのですが、そのデイケア施設が無くなってみんなの使えるトレーニングルームになったようです。

 で、これはいいと思いました。ここは同じ市内でも家からは遠いのですが、隣の市に近いのです。途中にはショッピングセンターもあって片道30分くらいの範囲です。

 午前中、トレーニングをして、昼をそこで食べ、少し休んでプールとお風呂。昔行っていた時に、朝バスで来て、午後バスで帰るまで、プールとお風呂とお昼とおしゃべりを楽しんでいるおばあさんがいましたが、あの人は今でも元気に来ているでしょうか。今度、下調べに行ってみましょう。

2024年3月16日土曜日

 屋根修理

 先日郵便局で声をかけられなかった知人のご主人が、「俺が亡くなった後もこの家に一人で住むつもりなら屋根を直しておいた方がいい」と言ったという言葉が思い出されました。

 わが家も、娘と私、あと二十年この家に住むなら、屋根の雨漏りとハクビシンの穴だけはふさいでおかなくてはなりません。でないと、屋根裏が気になって暖房もかけられません。そう思いながら、ここまで来てしまいました。

 下は何とかDIYで娘と二人でできる気がしていますが、屋根は無理でしょう。欲を言えば、隣にまで雨水が行ってしまう屋根の構造、断熱効果をもっと高めるような、ペンキの塗り替え、カバー工法、相談したいことは山ほどあります。

 いよいよ四月が近づいて、決心して、昔夫がお世話になった設計士さんに電話をすることにしました。その前に友人に4年ぶりに電話をして、まだ彼は仕事をしているだろうかと聞きました。みんな私と変わらない年なのです。

 ある日、自分を鼓舞して電話、これもチャレンジです。

2024年3月12日火曜日

 70代後半、声をかけられなかった

 いくら臆病な私でも、70代前半にはこんなことはありませんでした。夫が亡くなって4年半以上、遺品整理をしながらの日々は忙しくて、あっという間でした。

 やっとこの頃時間もできて、四年前、頻繁に電話をかけてくれた友人のことを時々思い出すようになりました。ここ、ニ年ほど電話が来なくなっていたのです。

 最後の電話では、「主人の腕にすがって散歩してきた」と言っていました。いつも面倒見のいいご主人のおのろけばかり聞かされていたので、「またのろけて」と体調の変化等信じませんでした。彼女は私より二歳ほど年上でしたが、高校では体操クラブで、平均台等得意種目だったと話していたことがありました。運動クラブなど入ったことのない私がこの程度なのだから、彼女が歩けなくなることなど全く思いませんでした。でも、電話魔の彼女がここまで沈黙するのは、やはり何かあったのだろうかという思いが頭から離れません。

 何度か電話してみようかと思いましたが、かけられませんでした。この年代になるとニュースはいいことばかりではありません。歩けなくなる程度ならまだしも、認知症で忘れているかもしれません。そういうニュースは聞く方も言う方も嫌だろうと思えました。

 こんなこともありました。ある日、郵便局に車で入って行った時のことです。どこかで見かけたことのある人だなと思える人が前を歩いて自分の車の方に行きました。車は以前の車ではなかったので違う人かと思いましたが、相手もこちらを気にしているようで、やっぱり知人のようでした。私は声をかけるのはやめて、知らぬ顔をして、車を止め、マスクをしました。

 彼女は元気そうに新しい車を運転していましたが、彼女には糖尿病で入退院を繰り返していたご主人がいたのです。話をすれば当然その話題は外せないと思いました。

 この年頃になると、いいニュースは無いと思った方が無難です。

 昔懐かしい、あの顔、この顔も思い出の中に留めておいて、今身近にいる人々を大切にした方がいいのだと言い聞かせています。

2024年3月1日金曜日

 近頃のユーチューブ、『1979 Fausto Cigliano - 私だけの十字架』

 この頃、私の『好きな歌リスト』に藤圭子さんが入って、ある晩遅くまでユーチューブサーフィンをしていたところ、突然この表題が出てきたのです。いかにも優しそうで気弱そうな40代の男性がギターを持って歌っている写真でした。すぐに気付きました。『この人があの歌を歌っていたんだ』と。まさに『やっと会えた』という感じです。

 動画の下には、コメントがエンドレスのように続いていました。一番上にあったのはこれです。

『Wikipediaによると2022年2月17日、85歳で亡くなられたとのこと。素敵な歌声をありがとう。ご冥福をお祈り申し上げます。』

 私は何年か後に気が付きましたが、クロード・チアリさんと間違えていたという方もたくさんいました。チアリさんはフランス人で、この方はイタリア人のカンツオーネ歌手だそうです。

 読んでいくと、私がどこでこの歌を聞いたのかがわかってきました。私は長年、これは『火曜サスペンス劇場』のエンディング曲だと思っていたのですが、違ったようです。あのころ、1979年って、子育て真っ最中で、仕事もして、それでもテレビは見ていたのでしょう。内容はほとんど覚えていませんが、この歌だけはずっと心に残っていたのです。歌詞もうろ覚えで、何を歌っているのかも推察しかねていましたが、声と曲だけで感動していたというのが本当のところです。この歌を聞いて涙が出たという方がたくさんいました。

 そんな私のためのように、歌詞を書きとって、情報をくれるコメントがありました。

『私だけの十字架

【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】

  歌  :ファースト・チリアーノ

作詞:尾中  美千絵

作曲:木下   忠 司


風が吹けば港に

船は帰りくるけど

若い愛をかわした

笑顔二度と見えない

あの人はあの人は

丘の白い十字架


星の揺れる港を

ふたり見てたあの日よ

肩に受けた口づけ

愛の形見消せない

あの人はあの人は

私だけの十字架


陽ざし揺れる港を

船ははなれてゆくけど

愛の祈り交わした

声は二度と聞けない

あの人はあの人は

風と語る十字架

風と語る十字架』

 こんな情報もありました。『何より驚いたのは作曲した人が特捜最前線の中で流れる音楽はもちろん、水戸黄門の音楽や主題歌「ああ人生に涙あり」をも手掛けたあの木下忠司(ちゅうじ)だとわかったことかもしれない。』

『この曲は作曲は木下忠司さんですが、編曲は銀河鉄道999TV版音楽を手掛けた青木望さんでした。999の哀愁がこの曲にも反映されていて、素晴らしい曲になっています。』

 この『風と語る十字架』っていい言葉ですね。情景がこれだけで分かります。

 【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】となっていますが、私は二谷英明さん主演のこのドラマ、全く覚えていません。覚えていたのはこの歌だけだったのです。

 いま、フルバージョンで聞いてみると、人生を包み込むような声量と歌い方だと思います。これがカンツォーネというのでしょうか。

 涙を流しながら聞いているというコメントがいくつもありましたが、中に、昔お母さんと一緒にこのドラマを見ていて、今は一人でこの曲を聴いていると涙が止まらないというのもありました。また、「この歌は他に誰もカバーできないだろう」というコメントもありました。

 ファウスト・チリアーノで、今、ウキペディアを見てみましたが、俳優さんもやっていたみたいです。道理で、歌に心を入れるのがうまいと思っていました。亡くなるまで活動していたようです。

 これからも私の歌リストに入れて頻繁に聞きます。

2024年2月29日木曜日

 減量計画、新スケジュール4週間後、温活と断食、一か月の総括、2月29日

 以前、足の冷えに悩み、石原新菜先生の温活のすすめを見て、温活らしきことを始め、新菜先生があの昔拝読した断食のすすめの石原結實先生の娘さんだということを発見して、『へー』とか驚いていたことは前にも書きましたが、今回図らずも、腹痛で七転八倒して、南雲先生やとっさんを見習って食事の新スケジュールを取り入れ、どこかで聞きかじった、少なくとも夕食後16時間の断食をしているわけですから、『昔勉強』が役に立っている感じです。

 真ん中くらいで新スケジュールは、『ヘルスラボ』さんのアドバイスで少し修正変更しましたが、先達のアドバイスはいつも心にとめて、背中を押され、注意を喚起されて、ついに一か月頑張りました。

 お腹の不具合もだいぶ改善しましたが、今も食べると何か違和感があったりもします。でも、空腹は感じます。食べ過ぎは内臓を痛めてしまうということを身をもって知りましたので、このスケジュールでこれからも臨機応変にやっていきたいと思っています。

 4週間目の体重は66、3キロ。このままいけば、『ヘルスラボ』さんの五か月で10キロ減に届くかもしれないと希望をもって頑張りましょう。6月の梅雨のころです。

 この頃気になってバナナの皮パックまでしていた顔のシミは相変わらず、老人顔になったしわも相変わらず、血圧も二月の寒さであまり下がりませんでしたが、お腹の脂肪は確実に減り、ズボンのゴムを縮めました。悩んでいた夜間頻尿は少し暖かくなってきたせいもあり、少なくなり、いびきは、多分、睡眠時無呼吸を伴っていたと思いますが、少し改善したと思います。朝起きたときの「のどが痛い」が少なくなった気がします。後、便秘は若い『ヘルスラボ』さんのようには行かない感じです。

 今日は孫が来て、食事は昼が正餐になりました。臨機応変に。

2024年2月22日木曜日

 減量計画、新スケジュール3週間後、『ヘルスラボ・ともゆき』さんのユーチューブ、2月22日

 さすがに春一番がふいてから、冬眠していた熊さんのお腹も空きだして、『120キロカロリーのお楽しみ』を見直さざるを得なくなりました。

 夕食から16時間後の朝食というのは変わらずに、朝運動後の朝食は何か一個と飲み物にしました。例えば、バナナ一個、みかん一個、野菜一個、というふうに、多くても120キロカロリーくらいです。相変わらず、おススメされたものは断らずにいただきます。つまり間食ということですが。

 昼は運動をした後に、夕べの残り物、それがないときは、手作りパン半分、納豆半分、ゆで卵でも半分、と、なんでも今までの量の半分を食べることにしました。その代わり食材の種類を豊富にしました。カロリーにしたら400キロカロリーくらい。

  ちょっと気が付いたのですが、朝って意外とお腹が空かないのです。それに引き換え、昼は食べ物を目で探しています。意外と南雲先生の食事スケジュールは正解なのかもしれません。

 最初の2週間では、正餐は一日一度ということで、夕ご飯は、南雲先生のように自由になんでも『たくさん』食べることにしていましたが、3週間目は、普通に戻しました。4時くらいに食べると口淋しくなることもあるので、早めに歯磨きをして、早めに寝る。外食は控えて、その分お惣菜を買い、家の五分突きご飯と食べる。等など、いろいろ工夫しました。お財布にも優しいダイエットです。何よりいいのはカロリー計算をしなくていいことです。

  食事スケジュールの変更を後押ししてくれたのは『ヘルスラボ・ともゆき』さんのユーチューブ『今日から始めてほしい❗❗腸の不調を改善&活性化するマッサージを【自身の身体で】【実演】します』です。この方のユーチューブ、気にはなっていたのですが、いつもは農業のたい肥作りの話なのでスルーしていたのです。名前からすると男性っぽいのですが、写真はかわいい十代にも見える女性です。

 今回、腸の不調を改善し、お腹の割れを作ったというきれいなお腹の写真が出ていたので、見てしまいました。彼女は50歳の理学療法士さんで、この過程と独自のストレッチを紹介していました。

 先ず食事は、「決して満腹まで食べないこと」だと言っていました。お薦めのストレッチは、まさにねじりの運動です。私もねじりの運動をしていて、お腹が凹んだと喜んでいたのですが、私はいつも満腹に食べていたのです。その上での死ぬかと思うような腹痛でした。胃痛と言った方がいいかもしれません。

 彼女の場合、お腹はきれいに凹みましたし、体重も5か月で10キロくらい落ちて、便秘も無くなったそうです。とても50歳とは思えないくらい若くてきれいです。

 ちょうど、『お腹を空かせて、一日一回ドカ食いする』というのは続けられそうもないと思っていたところだったので、私は『昼を少なめに食べて、夜を普通に食べる』に変更しました。それでもトータルは1500キロカロリーくらいだと思います。

 三週間目の体重は66、9キロ。ぎりぎりでも66キロの仲間入りです。まだお腹の違和感が抜けないのも幸いしたかもしれません。

2024年2月15日木曜日

 減量計画、新スケジュール2週間後2月15日

 果たして、意志の弱い私が1週間持つかどうか、ましてや2週間持つかどうか、あまり自信はなかったのですが、曲がりなりにも、持たせました。

 朝、夕食から16時間後、コーヒー、この時、牛乳を少しを入れてしまうので、ちょっと違反気味。これで、40キロカロリー。果物または野菜、80キロカロリー。とっさんはサラダと言っていたので。

 昼、南雲先生はリンゴ一個でしたが、とっさんはギリシャヨーグルト一個と言っていましたので、閑な私はリンゴ一個分120キロカロリーの範囲内で、日を変えていろいろ作りました。便秘の時は、サツマイモとお茶。バナナ小一本。酢納豆一パック。蒸した人参、野菜。沢庵とお茶。具だくさんの味噌汁、甘酒、茹で卵。

  これが高じて、朝の120キロカロリーと昼の120キロカロリーは『お楽しみの120キロカロリー』と化し、ギリシャヨーグルト一個とか、カマンベールチーズ1ピースとかと発展していってしまいました。

 二週間目には、お腹も改善して、朝昼一緒の240キロカロリーになり、違反というべきか、自由自在というべきか。違反はもう一つあって、勧められた食べ物は断りがたいということです。

 夜は4時から5時ごろに、普通に、それでもたくさん食べました。残り物がたくさん出てしまうのです。以前は、私が必死で処理していて、それで、以前は2000キロカロリーオーバー、あるいはそれ以上食べていたのです。今は1500以下だと思います。新たに作る料理は一品だけにして、残り物を工夫して食べる。おかげで食費が減りました。

 2週間前の体重は70キロ、1 週間後は67、8キロ。一週間でー2、2キロ、このまま無くなってしまうのかと思える勢いでしたが、今、2週間後で67、4キロ、宿便らしきものが出て、お腹の違和感が改善したら減量スピードはどんと落ちて、身体が元に戻りたがっているようです。でも、とっさんが言っていました、「停滞期のあとは必ず下がるから大丈夫」。

 ここで素人推察、フラミンゴ先生が言っていましたが、「寒さで筋肉が固くなって血行が悪くなりますから、ストレッチして筋肉を弛めて血行を促進してあげましょう」。それでは寒さで内臓の血行も悪くなるはずです。だから、適切な処理能力が落ちて、余分な食べ物は消化できなくなり、私のように嘔吐してしまうのかもしれません。素人考えですが、凍死というのは、まさに血行が悪くなってすべてが機能しなくなることではないでしょうか。こういう時はクマのように、何も食べずに冬眠しているのが正解なのではないでしょうか。

 でもそうすると、今までは『120キロカロリーのお楽しみ』で、あまりお腹は空かないと豪語できていますが、これから暖かくなって、体が生き生きしてきたら、お腹も活発に空いて来てしまうでしょう。『120キロカロリーの苦しみ』が待っているような気がします。

 対策として考えたのは、食べたらすぐに昼寝をする。食べものから脳を切り離さないといけません。

2024年2月7日水曜日

 近頃のユーチューブ、シニアの筋トレと昔の映画

 『フラミンゴの介護予防チャンネル』という動画を何気なく見て、いつもの体操動画のノリでやってみました。ちょっと長いとは思ったのですが、できないこともなかったので、やってしまいました。自分では『まだ介護予防には早い』と思っていたので、『できないはずはない』と高をくくっていたのです。

 翌日、脚の筋肉の張りと痛さで、『これは効いているんだ』と認識しました。それ以来、時々見てやっています。どうも、体の中の重要な筋肉を伸ばして緩めて、血行を良くするらしいです。美容とかダイエットに関係しない分、緊張して取り組んでいます。

 もう一つ、おススメ動画に昔の映画が出てきます。主にシャーロックホームズで、アメリカ映画のようです。たまにポアロやジェレミー・ブレッドのシャーロックホームズも出てきますがこれらは何度も見ているので、見るときはアメリカ映画とテレビ版のシャーロックホームズを見ます。

 ところが、訳付き英文科には辛い、原語のままだったり、自動翻訳で、意味の分からない日本語訳がついていたりします。読んでいてもほとんどわかりません。で、覚悟を決めて、一生懸命、状況を理解してストーリーを人物たちの動きから推察します。幸いミステリーですから犯人が分かればいいのです。これで英語を学ぶ人もいるでしょうが、この歳になっては無理でしょうね。私の若いころにはこんなチャンスは全くなかったのです。

2024年2月1日木曜日

 減量計画 こだわりを持ってスケジュールを立てる

 私のスケジュールは体調不良の娘に代わって、孫の送り迎えをするのが週日のメインです。これは相手がある以上、きっちりと時間を守らなければいけません。で、その他の時間で、自分の体調管理、家関係の掃除管理をしなければなりません。

 しかし、この歳になると時間を守る仕事というのは、結構大変です。

 さすがに老化だと思いますが、ここ二、三年、血圧が高く推移しています。

 そこでいろいろ考えたのです。

 昔の経験から、痩せれば血圧が下がると考えたのです。何とか痩せたいと思い、暇があれば運動とか畑とか、DIYとかして身体を動かすようにしています。

 食事の制限はしていませんが、朝昼晩の三食で、いろいろな食材を、それも食物繊維たっぷりと言われているものを食べるようにしていました。便秘の改善にも効果があると思ったのです。

 そして最近は、寒い季節に入ったこともあり、温活を始めました。暖かい服を着る、湯船につかる、カイロを使う。

 その結果、一月の末のある日、突然腹痛を起こし、七転八倒して苦しみ、ついに嘔吐して、それでやっと少しづつ快方に向かいました。その翌日も同じことが起こり、これも吐くと治ってしまいました。

 そこで考えたのです。原因は何か。

 食事と運動の関係です。

 メインの仕事があるので、三度の食事は空いている時間、運動も空いている時間です。となると、運動、朝食、仕事、昼食、運動、家事、おやつ、運動、夕食、寝る前マッサージで、就寝となります。三度の食事どころか、四食食べていたのです。『寒さでエネルギーが消費される』とか、『夕食は娘が作ってくれるから』とか、いろいろ理由をつけて、過食を容認していたわけです。そこでさすがに気が付きました。『お相撲さんは稽古をしてから食事をする』『食事をしてから内臓をねじってはいけない』等など。お腹はずいぶん凹んだのですが。

 これにはいろんな対策があるでしょうが、私の頭に浮かんだのは、片岡鶴太郎さんの一日のスケジュール、南雲先生として有名な医師の南雲吉則氏の食生活のことでした。

 鶴太郎さんは以前にも書きましたが、夜中に起きて、ジャミセンや書道など、いろいろな趣味をして、ヨガをして、朝、自分で作ったこだわりの食事を時間をかけて食べ、それから仕事に行くということでした。反対に、以前テレビで見た南雲先生は、朝、飲み物以外食事はなしで、仕事場まで歩き、クリニックの仕事をこなし、昼にはリンゴ一個を食べ、夜は解禁して何でも食べると言っていました。

 私にはこの南雲先生の食スケジュールが当てはまるんじゃないかと思いました。昼間は運動と生活で動き回っているのだから、つまり、朝運動、仕事、昼運動、果物、家事、風呂、夕食、寝る前マッサージ、就寝。間に飲み物。そうすると夕食はいくら食べてもそんなにカロリーは上がりません。

 そういえばこの頃痩せたと言われるユーチューバーのとっさんも、朝食はサラダなどと少なくして仕事をし、昼はギリシャヨーグルト、筋トレもして、夕食は普通にと言っていました。お腹は空かないそうです。

 そういうわけで、昨日一日、実験してみましたが、お腹は空きません。腹痛も起きませんでした。これで、南雲先生のように痩せたら、目標達成です。

 間の飲み物のために甘酒の作り方をユーチューブで探してしまいました。

2024年1月26日金曜日

 イベントとプロジェクト

 知り合いの年上の方が言っていましたが、「退屈で早くお迎えが来ないものかと思う」と。彼女は週に何日かフィットネスジムに通っていて、老化によるそれなりの病気はあっても至極元気です。

 わからないこともないです。つまり人生には期待していたことは何一つ起こらないのが現実だからです。正月もないし、来福もない、あるのはただ時間の流れだけとわかったら、老人は、『どうせ何をやっても同じ』と、今までの経験で分かってしまうのです。掃除をして、風呂に入って寝る。食べものだって昔ほどおいしくないのです。

 そこで、湯原昌幸さんのお話を思い出しました。奥さんの荒木由美子さんと『徹子の部屋』に出たときのお話です。結婚直後から20年続いた認知症の湯原さんのお母様の最期を看取り、一人息子も結婚し、初めて夫婦二人きりの生活になって、「どうやって楽しく生きていくかを考えて、年に何回かイベントを企画して実行している」と言っていました。つまり、何か楽しいことを二人でするということのようです。それは旅行だったり、会食だったり、とにかく楽しいことだそうで、記録しているらしく、「今年は31回になりました」とおっしゃっていました。

 つまり、二人以上でするとイベントです。じゃあ、私のように一人のときはどうしたらいいのか、それは『プロジェクトを企画して実行する』ということになるのではないかと思います。

 私の場合は、リフォームです。洋服のリフォームはいつも頭の片隅に置いて実行していますし、先日は、娘と二人で物置のDIYをしました。そのあと、防寒対策で窓にビニールカーテンをぶら下げ、一段落、次はいよいよ、ペンキ塗りか、DIYの壁紙張りか、椅子修理か、やることはいっぱいあります。

 幸いなことに、旅行や外食といったお金がかかっても後に残らないものにはあまり、興味が無くなりました。外食するとてきめんに体重が増えるのは私だけでしょうか。そのあと、二、三日お腹がすいてたくさん食べてしまうのです。また、世界の景色は、今やユーチューブやドラマでふんだんに見られます。

 そういうわけで、いつも不満を引き起こしてくれる古いわが家と山のような古着、意のままにならない体重や健康があると、対策プロジェクトは湧き水のように湧いてきて、退屈している暇がありません。むしろ、あっという間に時間が過ぎてしまいます。老化ということを考えると、これも悲しいですが。

2024年1月16日火曜日

 ユーチューブ勉強、『群れる人と群れない人の違い』

 『そうなのよ』と思いました。まさに私の事を言われているような感じでした。私はそれを通り越して『群れられない人』という感じです。

 時々、こうして『そうなのよ』という表題に遭遇して、『ああ、これって勉強だな』と思います。

 結論からいえば、『群れない人の方が自分を持って生きていける』ということでした。

 でもです。群れられない私でも『洗脳』はあったと思います。それは教育だったでしょうか。文化だったでしょうか。

 例えば、この間書いた『大掃除のはなし』。その後、正月になり、神社の飾りつけをする人たちを横目で見ながら、『ああ、正月か』と思ったものでした。本当にほとんどそういう文化に関心が無くなっているのは歳のせいでしょうか。

 でも、昔から関心がなかったような気もします。昔、『正月は時間の流れの中の一刻にすぎない』と思ったことを思い出します。だから、儀式らしいことに関心がなく、娘が「七草がゆだよ」と言った時も、「え」と思わず叫んでしまいました。『悠久の時の流れになんの変りもないだろう』とか、そういう時、私の頭の中に、宇宙の様が思い出されるのです。『死』もまたしかりです。

 でも、やっぱり、歳のせいもあると思います。歳のせいで洗脳が溶けてきたんです。確かに昔は正月に『来福』を期待して神社に行ったこともありました。宝くじを買ったこともありました。今は全く関心がないですが。

 工藤夕貴さんが言っていましたが、「人生はまるでチョコレートの箱のように、次々にいろんなチョコレートがでてくるものだ」と。『フォレストガンプ』の中の一節だそうです。それは自分が期待していた通りにはならないということですよね。つまり、『願った通りにはならないが、それでもいろいろなことが起こる』ということでしょう。

 『福を求めない』ことと『今を精一杯生きる』ということが正解なのではないかとこの頃思います。

2024年1月14日日曜日

 病気をしない

 寒くなると特に感じますが、体の動きが悪いのです。局所的には足首の動き、全体的には歩きのバランス。夜中の頻尿が加わると、これが老化というものだろうといやでも気づかされます。

 何とか元に戻そうと、ユーチューブのアドバイスを見、運動をして、毎日様子を見ているのですが、現状維持ではあっても、昔の動きにはなれません。『暖かくなれば』と言い聞かせているのですが、今度は暑くなりすぎて参ってしまうのでしょう。

 「でも」、とここで一言。この正月、いつも見ている『とっさんTV』のとっさん一家がインフルエンザに罹ったのだそうです。おととしまで毎年のようにかかっていたとっさんは、『妻と娘を守らなければ』と思って看病していたら、自分自身はかからなかったと言っていました。

 私もそうでした。暮れ正月、隣町に住む娘一家がインフルエンザに罹って、全員ダウンしていました。一昨年のコロナの時は看病に行って私もかかりましたが、今回、暮れ正月を離れてやり過ごしたおかげで、その後病み上がりの娘たちに会っても私たちにまでは菌が届きませんでした。

 というか、とっさんの例を見ていると、とっさんはそれまで何年か罹患していたようですから、抗体ができていたのだろうと思いました。私も以前、インフルエンザで高熱を出して三日三晩寝ていたことがありまして、あれは解熱剤で一度下げてもぶり返すので飲みませんでした。だから、私にも抗体ができていたんだと言っても、娘たちは信じませんが。

 それでも、私も、とっさんの心意気で、『手伝いに行く私まで寝込めない』と思ったのは確かです。咳は出ていましたので、こまめにうがいをして、暖かくし、規則正しく早寝早起きをし、最後は葛根湯も飲みましたが、熱は出ませんでした。

 『無事、これ名馬』という言葉がありますが、私はこれは私の事だと思っています。「私は病気をしないんです」と皆さんにも言っています。この勢いで老化もストップしたいものだと思います。先ずは動脈硬化の予防改善です。そのための運動、食物繊維、温活です。

2024年1月3日水曜日

 アゼルバイジャンの山の中で

 私が食事時にサスペンスドラマを見ていると、娘が嫌がって回してしまう、それがこの『アゼルバイジャンの山の中』のユーチューブ動画です。

 これらは何本かあって、どれも人の手があまり加わらない素晴らしい景色の中で、中年から老年にかけての夫婦や家族がイヌやネコといったペットとともに生活し、家を整え、料理を作り、山仕事に出かけ、畑仕事に出かけ、そこでまた野外料理をするといった日常を映し出したものです。面白くもない日常の労働の動画ですが、それが美しい自然と、アゼルバイジャンという未知の国の人々の生活の流儀と食べものと結びつくと、いかにも新鮮でつい、一、二本は見てしまいます。

 そこに若い人が出てこないのがいかにも自然で、と思って視ているのですが、実際が何歳くらいなのかまったく分かりません。ロシアでの平均寿命が69歳くらいと言っていましたから、ここに出てくる人たちは、見かけより若いのかもしれません。

 で、何が言いたいかというと、ふと思ったのです、ここに住んでいたら、結婚は必ず必要だろうなと。家族や少なくとも家族の思い出なしにこんなところに一人で住んでいたら、どんなに自然が美しくても住み続けることは難しいのでは、いや出来ないと思いました。

 日本や多くの先進国でシングルライフが増えているのは、そこが都市化して、男の仕事、女の仕事の区別が無くなっているせいなのではないかと思いました。一人でも何不自由なく生きていけるのです。たとえば、料理をしたり、暖を取るのに、薪を集める必要はありません。食料を集めるのに、畑を作る必要もないし、家畜を飼う必要もありません。生活は一人ででもできるのです。

 これは幸せなことというべきか、少なくとも老人にとっては幸せなことなのではないかと思いました。

2024年1月1日月曜日

 競争心と虚栄心、人の目

 限られた残りの人生、自分のやりたいことに集中したいのに、集中できないのはなぜか。

 気が散るからです。なぜ気が散るのか。余計なことを考えてしまう。例えば、こんなことをしている自分を、他の人はどう見ているだろうか。ミニマリストが過ぎて、おかしいと思われていないだろうか。特に女性は服装について、私のリフォームに直ぐ気付くだろうなとか。

 それは自分も同じように人の一挙手一投足を見ているからだと気が付いているのですが、身に染みてしまっている人と比較する癖は無意識のうちに出てきてしまって頭を占領してしまうのです。

 原因をいろいろ考えてみたのですが、『私たち団塊の世代は常に競争を強いられてきたから』とか、『人より良く見せたい』とか、競争心とか虚栄心とか呼ばれる、そういうこびりついた考えが剥がそうと思っても剝がれないのです。

 この歳になればわかってはいるのです。今を楽しく生きることが一番大事、今できることを夢中になってする事が満足を与えてくれる、先へ進むのは誰でもない自分だということを。

 若いころから、私は分かっていないで、流されてしまう人間だったけれども、周りには若くしてわかっていた人たちもいたような気がします。そういう人たちは自分の道を切り開けたような気がします。いわゆる、自分の頭で考えて自分の意見を言える人、『地頭のいい人』たちです。