2024年4月18日木曜日

 親方

 工事屋さんが下調べに連れて来た塗装屋さんはとても愛想の悪い人で、挨拶をしてもニコリともせずに頭を下げるだけの人でした。

 二回目に来た時、「ここを最初にやった人は浅野さんという親方でしたよ」と私は思い出したように言いました。そしたら、それまで下を向いて作業をしていた塗装屋さんが、顔を上げて嬉しそうに「浅野さん」と言いました。それだけでしたが、反応があったのです。

 塗装屋さんに反応も挨拶もニッコリもコミュニケーションも必要はないのでしょうが、私としては『つかみはOK』という感じで、なんとなくうれしくなりました。

 浅野さんとは、45年前にこの家を建てたときの塗装屋さんで、もうとっくに亡くなっているとは思いましたが、『きっと知っている』という自信があったのです。なぜなら、あの頃、車二台分くらいのお弟子さんをいつも引き連れて仕事をして回っていたらしいのです。

 遅ればせながらこの年になって、『人間は自分にできると思う仕事をもって、生きていかなければならない』ということをわかり始めて、『学校ではそんなこと教えてくれなかったなあ』と思ったり、『私が考え無しだったんだろうなあ』と反省したりの日々だったので、浅野さんとお弟子さんの関係を思い出すと、浅野さんは自分が体得して得た知識と技術をまるで先生のようにお弟子さんたちに教えて、独り立ちさせていったんだろうなあと思えてきたのです。もちろん肉体労働できつい仕事だから若い労働力も必要だったとは思うのですが、あのお弟子さんたちの多さを見ると、このあたりの塗装屋さんたちは、みんな浅野さんのお弟子さんたちなんじゃないだろうかと思えたのです。

 「うちは、二回目も浅野さんでしたよ」と、水を向けてみたのですが、もう塗装屋さんからの反応はありませんでした。