2023年4月30日日曜日

 ユーチューブ運動を楽しくやる方法

 一時膝が痛くって歩けなくなって以来、毎日体を動かして、ケアを怠らないようにしています。

 朝起き抜けに、少しあちこち動かして、そのあと筋トレをほんの少しします。そのあと、食事、次に食後三分体操、一分ずつの片足立ち。

 コンピューターを見出すと、合間を見つけて、ユーチューブ体操をします。同じものをするときもありますが、違うものを見つけて挑戦していくときもあります。

 これらをもう一年半ほど続けています。

 その結果はどうかというと、膝は治りましたし、更に正座ができるようになりました。

 何より驚いているのは、体重はそんなに変ったわけではないのに、肩や胸のあたりの脂肪が減って骨が触れるようになりました。これって毎日やったご褒美だろうと感激しています。本当に、運動大嫌いの私は、運動をこんなに続けられたことはなかったのです。

 あ、ヨガはやってましたけど。あの時も健康全般にすごく自信が出てきた感じはしていました。あの時、自信が付きすぎて、少し無理をしてしまったのです。それで、膝を壊してしまいました。

 今はヨガではなく、局所的なもの、最初は膝関係が主でした。その後、猫背を治したいがために腕肩関係。足首が固い、足指がつるなど、その時々に対応した動画を探します。中でも猫背、首凝り等に関した動画はほとんど毎日のように見てやっています。

 それは、たった三分で短いし、リズミカルでとっかりやすいのですが、毎日となるとやはり飽きて退屈になってきます。でも、さすがに一年半ともなると、運動嫌いの私はなおさら対策を考えないと続きません。で、やっているうちに思いついたのです、ちょっと自分らしさを入れたら、もうちょっとアドレナリンが出るのではないかと。で、ある動作の時は、呼吸法を入れ込みました。腕を押し出すときは、上に下に、自由自在に。子供が先生の言うことを聞かずに自分勝手に動いて楽しんでいるように、勝手にアレンジしています。ユーチューブですから怒られません。

 これは毎日見ながら続けている体操ですが、中には食後三分体操のようにすぐに覚えてしまうものもあります。『二週間で開脚ベター』のように期限付きのものもあります。期限内にはできそうもありませんが、今はこれに挑戦中です。

 結果が出てくると楽しくなるようです。この歳になって初めて知りました。

2023年4月22日土曜日

 近頃のユーチューブ、タイヘイトリオ タイヘイ夢路さん

 ある日、突然、ユーチューブにタイヘイ夢路さんの『浪速春秋』という歌が現れたんです。私の年代だったら、まだテレビでタイヘイトリオさんの漫才を見たことがある人は多いと思いますが、歌謡漫才です。で、聞いてみたのです。春団治さんのお姉さんのおあいさんの目線で歌われた、いわゆる浪曲歌謡でした。あの頃、浪曲歌謡は結構あったんです。

 他にもタイヘイトリオさんの漫才の動画があって、そこでは相方の糸路さんが「私らはテレビ久しぶりに出してもらうけど、あんたはいつも出ているから…」といったような嫌味を言っているところを見ると、夢路さんのこの歌はヒットして彼女は歌番組にも進出していたのでしょう。

 私がこの間書いた都はるみさんの『浪速恋しぐれ』は春団治さんの奥さんの目線で歌われていたのです。歌に歌われるようなそんなに有名な人でも、年代的にも距離的にも遠いとまるっきり知らない人なので、まず、この春団治とは誰ぞやとウキペディアで調べてみました。初代、二代、三代、四代とその前の零代もあるそうで、この何代目の人なのかと探検家よろしく探していきました。まず読んだのは二代目の記事。でも、この人の記事は家族関係が違いました。では零代か、初代か。零代は若死にしたそうですので、やっぱり、初代ということになりました。小説にも芝居にもなって、森繁久彌さんや藤田まことさん、藤山寛美さん等が演じたそうです。その中のエピソード、どこかで見たことがあると思っていましたが、NHKの朝ドラの「わろてんか」の中に出ていたものだそうです。

 で、私が興味を持ったのはタイヘイ夢路さんなのです。多分浪曲の修行をされたのではないかと思われるほどの声量と節回し。これも芸術の域です。歯が欠けている映像もあったのですが、声だけは何の変りもなく出ているのです。もう、多分お亡くなりになっているだろうと思いましたが、どんな生い立ちでどんな修行をされたのか、気になって調べてしまいました。

 名前を入れて調べてみると、『タイヘイ夢路さん(たいへい・ゆめじ=漫才師、本名辻本節子〈つじもと・せつこ〉)が7月31日、肝硬変で死去、88歳。葬儀は近親者で営んだ。』(2018年)という記事が目に飛び込んできました。『昭和30年代から40年代にかけて一世を風びした浪曲漫才「タイヘイトリオ」のタイヘイ夢路』というのもありました。私が小、中学生のころです。

 さらにウキペディアを見てみると、『一時満州で軍事浪曲で満州日出丸を名乗って売れていた浪曲師兼興行師京山愛朝の娘で、少女浪曲師として4歳から朝日博子の名前で舞台に立つ』と書いてありました。やっぱりだったのです。あの声は普通の人では出せるものではありません。

 さらに読んでいくと、まるでミステリーのネタバレのようになってしまってもいけないのですが、糸路さんはお姉さんだそうです。最初にドサ周りの巡業で知り合った夢路さんと洋児さんが夫婦浪曲漫才を始めたそうです。そこに糸路さんが加わってトリオになり、やがて事業に失敗した洋児さんが失踪。原児さんを加えて再出発したようです。

 やがて、糸路さんがソデに回りと書いてありましたが、ご主人と音楽活動をしていたようです。原児さんも司会業や歌手などに道を見つけ、夢路さんも歌手やバラエティ、俳優業もこなし、活躍していたようです。夢路さんが亡くなると糸路さんも同じ年の次の月に亡くなったようです。春団治さんも含めて、みんな生き切ったという感じでしょうか。

2023年4月10日月曜日

 いつの間にか使えるようになっている技術

 昔々、私がアルバイトをしていた頃のことです。私は40代だったから、30年も前の話です。

 自信はあったのですよ、それなりにできるだろうという。ワープロの使い方もコンピューターの使い方もそこの仕事先で教えてもらって、できるようになりました。でもなかなか難しいこともありました。それは、相手先の研究所などの名称が改編で一気に変わったのです。当然業務内容も変わりました。この変化についていけなかったのです。

 仕事って相手のあることですから、しかも興味のある事ならいいのですが、頭の悪い私には自分を変革させることができませんでした。そしていつの間にかやめていました。

 今の私なら、時間もたっぷりあるので、何とかついていけていたかもしれません。言い訳すると、40代の主婦は忙しいのです。

 その証拠に、私は今、コンピューターを使っていろんなことをしています。ブログもショップもユーチューブも、ニュースもドラマもコンピューターを駆使です。

 機械は相変わらず苦手ですが、使うことはできます。そして、これは今、小学生でもできるのです。知りたい、見たいと思ったら、それに引っ張られて自分を変革できるようになるようです。

 スマホまでしたいとは思いませんが、必要があれば、時間と心の余裕がある今なら、できる自信はあります。技術とか変革というのは時間と余裕と必要と、いろんな要素が絡まって、いつの間にか覚えていくもののように思えます。

2023年4月9日日曜日

 検診に行ってきました

 こんなに太っているのだから病気のはずがないなどと言い訳をしながら、本当は注射が怖くって、市の無料の検診を受けなくなってからもう十年になるでしょうか。私は太っているせいか、血液検査の注射がスムーズに入らなくって、それまで毎回苦労していたのです。

 しかし、この頃血圧が高いのを心配した娘が、どうしても、「無料で受けられるのは、この歳までだよ」と嘘とも本当ともわからない話をして強引に勧めたのです。

 『まあ最後ならいいか』と単純に乗せられて、『それまでに血圧と体重を減らしてやるぞ』と、これも単純に意気込んで、年度終わりに時期を設定して臨みました。

 で、体重は二、三キロ落ちたのですが、年度終わり近くになって、唾液腺が腫れたり、歯が折れたりしてお医者さんに行ったストレスか、一、二キロ減に戻ってしまったり、何としても血圧が下がらなかったり、色々抱えながらも検診に突入してしまいました。

 集団検診ではなく、病院で受けたのですが、心配していた注射もあっという間に終了して、今、新年度になって、結果が届けられました。総合判定はCでしたが、AとCが混在する、まあ、年相応のものと私は思いました。

 でも、忙しかった十年前に受けたころには気にもしていなかった結果ですが、この歳になってあちこち不安材料も出てきてから受けてみると、結果は結構気になるものです。

 まず、目を止めたのがLDLコレステロール値、以前は高かったのですが、今回は正常範囲内です。ここ一年半の毎日の運動が反映されたんだと娘に自慢しました。ところがこの下に、NON-HDLという気にも留めなかった項目があって、LDLと同じ説明がついていました。『別名「悪玉コレステロール」、肝臓からコレステロールを全身に運ぶ。増加すると動脈硬化を促進させ、心筋梗塞や脳梗塞を引き起こす』これがわずかに高くって、さらに中性脂肪も高くって、脂質の判定はC。『生活習慣の改善を要する』でした。

 次に気になったCは腎機能です。クレアチニン値はわずかに高かっただけですが、eGFR値が低すぎたのです。これはクレアチニンと年齢で計算して出されるそうで、『腎機能の低下発見の手掛かり』になると書いてありました。そう言えば、この頃おしっこが近くって、水分を控えめにしていたのです。コンピューターで調べてみると、これがいけないらしかったです。『水分はこまめに』と書いてありました。でも、糖代謝はAでしたから、糖尿病ではなさそうです。

 あとは思った通りの血圧、腕で測りましたから家で測るより低く出ましたが、Cで、わたし的には動脈硬化がおきていて、血液を送るのに心臓が苦労しているのだろうと思いました。動脈硬化の検査はなかったのです。

 Cは4つで、最後は身体測定。BMI、30.6、正常なら25以下のようです。腹囲も信じられないような大きさ。身長が若いころより二センチも低くなっていましたから、計算にはこの影響もあるだろうと負け惜しみを言いましたが、正常体重は60キロ以下のようです。

 さあ大変です。この四つのCを克服するには、今までの体操に加えて、塩分を抑えて、大好きなクリームケーキを我慢して、水をこまめに飲んで、野菜たっぷりのお焼きを毎日作って食べなければなりません。

 気合が入って、来年の健康診断が楽しみになってきました。

2023年4月8日土曜日

近頃のユーチューブ  中井昭 なかい あきら 1936 - 1984 高橋勝とコロラティーノのボーカル「思案橋ブルース」 1936年07月08日に誕生し、1984年02月19日に47歳で亡くなりました。

 以前、書いた記事の中に『中井昭とコロラティーノ、思案橋ブルースというのがありました。私がいくつのころだったか、全く思い出せないのですが、この曲は大ヒットで、ほとんど毎日のようにテレビの歌番組で流れていました。しかし、いつの間にか彼らは出なくなって、そして歌も聞けなくなってしまいました。彼らは、あの一曲だけだったようです。それをユーチューブで見つけたときは。うれしくって、思わずコメントも書いてしまいました。この歌をカバーで歌っている人もたくさんいましたが、全然違うのです。』と書きました。

 これが私が当時書いたコメントです。『キラリ感動 11 年前、私もやっと見つけました。心のどこかでずっと探していたのです。本当に突然消えてしまった感じだったのです。巡り会ったときは、もうとっくに亡くなっていたなんて。でもとにかくありがとうございます。』

 まさに『あれから11年』です。

 ユーチューブで、ニュースもドラマも料理も見るようになって、昔の、テレビ、身近な辞書、相談相手のような存在になって、一日中ユーチューブをサーフィンしていた時、見つけたのです。それは、中井昭さんの他の歌でした。それも一人の投稿主だけでなく、いくつかありました。その中の一つ、LP版からアップしていた方は、そこにかかれていた説明を記事として載せてくれていました。全部はコピーできませんが、その中の一行。

 『最高Bフラット(歌謡曲の女性歌手が出せる最高音)まで出るという高音の魅力と音域の広さは、日本歌謡界で随一でしょう。』

 まさに女性の声のような歌が多く投稿されていました。

 別の投稿主さんは『●中川レオさんという歌手が歌った曲です。●中川レオさんのシングルでは違う方の作詞・作曲となっていますが、中井あきらさんのLPでは、作詞・作曲がレオさんの表記になっています。』として、『中井あきら 「鴨ねぎ音頭」』というカバー曲を投稿してくれていました。ミニクラブに客がネギしょってやってくるという楽しげな歌です。

 コメント欄に「中井あきらさんに私が持っていたイメージがひっくり返りました」というのがありましたが、私も同じ意見です。でも、こうして亡くなった歌手の歌が復活して聴けるなんて、歌も不滅の芸術の域に入ったのでしょうか。楽しみです。

2023年4月1日土曜日

 近頃のユーチューブ やまと尼寺精進日記

 昔、テレビをよく見ていた時に、時々見ていました。ベニシアさんの番組のように、また、東京の奥の山の中で、長年住んだおばあちゃんがお礼に山に桜を植えて去っていくというドキュメンタリーと同じように、NHKのディレクターが時々行って撮影して放映していたようです。

 場所は奈良県音羽山観音寺、ここに、ご住職と慈瞳さんという眼鏡の副住職とまっちゃんというお手伝いさんがお寺を守っていました。山の上の景色も空気もいい、由緒ある祈願寺だから、檀家さんなどはいないのだそうですが、三人は、市や裾野に住む人々の協力や寄進を得ながら、精進料理の席を設けたり、宿泊を受け入れたりして、お寺を守り、山野草を取り、梅干しを大量に漬け、昔ながらの半自給の生活をしていたのです。

 ドキュメンタリーは4年くらい続いたようです。ファンもたくさんいたみたいで、最近偶然に見たユーチューブに、『『2020年3月に突然最終回になり、その後、6月ごろにまっちゃんのブログで、慈瞳さんとまっちゃんが山を下りたという報告が書かれていた。心配です』と書かれていて、私も心配になってあちこち調べてしまいました。

 ユーチューブには『やまと尼寺』のファンの方がたくさん投稿しています。そのあたりを見てみると、原因はやっぱりコロナじゃないかなと推察してしまいました。

 精進料理や宿泊は、コロナ下ではできなくなってしまったのでしょう。ご住職は本山で精進料理を習ったという方で、これはお寺の収入源でした。

 慈瞳さんはカウンセラーの資格を持ち、副住職の傍ら、学校や病院、ホスピスなどで仕事をしていました。コロナ下の医療従事者になってしまったそうです。これも収入源だったのでしょう。

 まっちゃんは美術学校を出た方で、お寺の案内板などにイラストを描いていました。

 単純に言うと、コロナで、収入が細り、三人はどうしようかと相談したのでしょう。

 その結果、住職さんが寺に残り、今までの職務を続け、慈瞳さんはカウンセラーとしての仕事に専念し、まっちゃんは本職の美術の世界に飛び込んで、個展を開いたり、ブログを書いたりし始めたようです。ご住職さんもお寺の公式チャンネルを開設しています。

 この変化の多い世の中、生きていくのはみんな大変です。でもきっと、今までの経験や絆を糧にして、三人三様に活躍していかれることをみんな祈っているみたいです。