2013年9月30日月曜日

動画で稼いでいる人 

 人生は『早めにやりたいことを見つけた人が勝ち』と、昔、英語塾をしていた時に生徒さん達に言っていました。でもきっと、一番見つけられないでいたのは私だったかも知れません。あれからいろんな仕事を転々としました。
  と言っても、家庭もあり、身軽に動けるわけではありませんから、いやな事も好きな事も、必要に迫られて、ほとんど同時進行のようにして、やっていたのです。だから、能力の問題もありましたが、何がやりたかったのか、未だに良く判りません。そして、六十三歳からネット本屋になったのです。
  そんなある日、テレビを見ていましたら、『動画で稼いでいる人』というミニ特集がありました。あまり気にも留めずに見ていたのですが、確か、二件か三件の例が報告されていたと思います。
  一人目は、定年後の生活の補助収入として、ネット動画を投稿して、広告収入を得ている人の例でした。元々写真が好きだったのでしょうね。写真機はもちろん、いろんな機器類がところ狭しと並んでいました。どのくらい稼げるのかは言っていなかったと思います。でも、娘が聞きかじりで、月に20万くらいになるのだと言っていました。
  しかし、だからと言って、私がこれを真似できるわけではあません。彼はこれが好きなのです。
 二人目は独自の化粧法を開発して、自分がモデルになり、皆さんに公開したところ、思わぬ反響を呼んで、それが、良い収入であった為に会社を辞めて動画投稿専門になったOLの話でした。収入になる動画の数が多ければ、OLの給料よりよかったと言う事でしょう。そして、彼女もまたこういう生活が好きなのでしょう。いや、OLの生活より好きと言うべきかも知れません。
  やりたい事なんて、みんな手探りで探しているのです。五感を働かせて、これよりこれ、あれよりこれ。そして、いつの間にかやりたかったところに流れ着くのでしょう。私のような、仕事をよく変える人は、昔は『辛抱が足りない』といわれたりしましたが、今は『ストレスで病気になる』と言われる時代でもありますから、やっぱり、好きな事を探して仕事をして行く事は大事のような気がします。
  そういえば、他の番組では、大根農家の女性が、変形した大根を人のように装わせて、『逃げる大根』なる動画をコマドリで撮影し、投稿して話題になった話をしていました。『大根の生産出荷は単純作業で、ストレスになる事もあるけれど、その中にこうした楽しい事を織り交ぜて行くと、毎日に変化と弾みがつく』というような事を言っていたと思います。彼女は生活の中に『辛抱』と『ストレス発散』の両方を見事に取り入れたのです。
  写真のコマドリぐらいなら私にも出来そうな気がしますから、いつか、私にも撮りたい対象が出て来たら、挑戦したいものだと思います。そういえば、ユーチューブの閲覧者が10億人を超えたそうです。

2013年9月24日火曜日

出会いについて 

 『出会いをありがとう』というのはビジネスマンの話だと思っていました。ビジネスマンは出会いがなければ仕事にならないですからね。
  でも、『生きていくという事は出会いの連続なのだ』とこの頃思います。
  例えば、私は小学生の頃、シェークスピアに出あって、その頃、シェークスピアの全てを理解したとは言えませんが、物語を作る人に憧れたのです。その後も憧れは続き、英文学を専攻しましたが、私がシェークスピアに近付けたとは全く言えませんでした。でも、その出会いから一つだけ生まれた事がありました。家族を引き連れてのヨーロッパ貧乏旅行です。そのとき、イギリスのストラッドフォードアポンエイボンに行ったのです。シェークスピアの生まれた町を一度見たかったのです。その町は何百年もの間、そういう人達でにぎわっているようでした。これも出会いではありませんか。
  もう一つ感じたのは、先日、房総一周旅行に参加させてもらった時の事です。その旅行は友人が企画して、夫を講師に招いてくれ、毎年一回同じようなメンバーが、元気な顔を確かめあうように参加する楽しい旅行でした。
  今回友人は夫が修理工事をした事のある飯縄寺を取り上げてくれ、そのお寺のご住職と、やはり以前に訪ねた事のある行元寺のご住職が、「今日あるのは先生との出会いのお蔭」とお話の中に取り上げてくださり、夫も面目躍如の思いをさせて頂きました。
  でも実は数年に渡る工事をしていた頃はいろいろ問題も起こりまして、その事を忘れられない対人恐怖症の私は戦々恐々だったのです。それを見事に昇華させてくれたのは、多分企画した友人の根回しと『波の伊八』だったのだと思います。
  房総は昔から江戸に近かったのです。江戸からお寺さんに来る道中記もあったと聞いています。それが、修理も無事なった近年、ご住職が「誰か来てくれますように」と天狗さんに頼んでいたところ、何日目かにJRの方達が来て、文化財修復支援事業で仁王門を修復してくれ、更に『デスティネーションキャンペーン』という企画で、この地方のお寺の広告をJRすべての車輌に掲げてくれたのだと言っていました。もう一つのお寺にもそのようなビラが貼られていました。その中心にいたのが波を彫らせたら並ぶもの無しと言われた『波の伊八』だったのです。
  最初に行った飯縄寺の結界欄間には『天狗と牛若丸』という最高傑作の一つと言われる繊細な欄間彫刻がありました。もう一つの行元寺さんには『波に宝珠』という横波の波涛に宝珠が浮かぶ様子を描いた欄間彫刻があります。これを見た葛飾北斎が『神奈川沖浪裏』という浮世絵にその描法を用いたのだそうです。『これはやがてゴッホやクローデルの波に転生し、またドビッシーの交響曲『ラ・メール』の誕生になったと言われます』と説明書に書いてありました。
  大きく実るにしろ、小さく実るにしろ、毎日は確かにこういう出会いの連続のような気がします。
  私の私のショップ、エブリカラーにしてからがそうです。最初のお客様で緩衝剤を入れ忘れ、次からは注意しました。送った商品が届かなくて、お客様と一緒に探しまわり、危機管理を学びました。お客様の代引きのご希望に添うように学習して出来るようになりました。音楽関係のような失敗学習もありましたが、大量注文を頂いて箱で送る方法も学びました。適切な(と思われる)値段もアマゾンやお客様の反応を見て学びました。つまり、アマゾンに載っていない本の引き合いが多かったのです。やがて、そういう本は高く売れるのだという事に気付きました。
  大きな実りばかりを期待しないで、小さな出会いも楽しんで大事にして行けば、年齢に関係なく、やがて成長につながるのだと思いました。

2013年9月22日日曜日

愛くん 

 今、NHKの連続テレビ小説は『純と愛』です。ホテル経営という目的意識を持った女の子と、双子の兄弟に死なれてしまっておかしくなってしまった男の子が結婚して一緒にホテル経営を目指すという物語ですが、今この時点では、まだ結末は判っていません。
  その男の子、愛くんはどんなところがおかしいかと言うと、人と目を合わせると、相手の心が見えてしまうのです。そうすると、恐ろしくて相手の顔を見られない。少しでも相手の心に悪意を感じると、口も利けないし、近付く事も出来なくなってしまうのです。
 そんなふうですから、仕事にもいけないので、純さんが外で働いて、才能豊かな愛くんは得意の料理やコンピューターの知識を駆使して、純さんを内から支える生活を始めるわけです。
 で、何に感激してこんなストーリー説明をしているかと言うと、作者の着眼点です。『相手の心が見えてしまって恐ろしくって』という経験は誰にでもある事なのですよね。『目を見ると』とか、『顔を見ると』とかという極端な事ではなくっても、『言葉の端々』とか、『態度』とか、『表情』とかに出た相手の感情に恐怖を感じる事は誰にでもある事ではありませんか。特に、世の中、勢いよく生活している人に対する時に。
  『気後れ』がするというのかも知れませんが、私の『対人恐怖症』もその種のもののような気がしたのです。
  で、愛くんは、純さんの愛情に守られて生活しているうちに、だんだん相手の顔を見ても心が見えなくなって行くのです。それは今度は自分の方に勢いが出て来たからだと思います。自信が着いて来たという事です。自分から発信する勢いです。
  『なるほど』と思いました。
  自分の事を振り返ってみますと、子供の頃の私は、親の権威に甘やかされて勢いが良かったのです。世の中の事をあまり知らずに結婚したものですから結婚後もそうでした。あまりの勢いに夫は『恐ろしい』と言った事もありました。ある意味では世の中への恐怖に対抗しての勢いだったのかも知れません。
  それが、やっと生活が落ち着いて、お金の心配をしなくても良くなって、自分も落ち着いて内省するようになり、同時に人びとの顔や社会状況も見回せるようになってみると、今までの自分に対する評価が気になり出したのです。『悪い事をしたな』とか、『恨んでいるだろうな』とか、そればかりではなかったはずなのに、そればかりが思い浮かんで、人に近づけなくなってしまうのです。
  愛くんの恐怖心も、その家族全員の苦しみも、死んでしまった双子の弟に『なぜもっとしてやれなかったのだろう』という後悔ばかりが浮かんで来るからなのではないでしょうか。
  私もお蔭で、身内には随分優しくなりましたが、新しい人間関係を築こうとは思わなくなりました。
  ある意味、『歳をとって丸くなる』と言うのはこういう意味なのかもしれないと思う事もあります。誘ってくれる友人知人には申し訳ないですが、『良い事なのだ』と思う事もあります。そして、理想の境地は、『周りのみんなに優しく、恐怖感を感じさせない勢い(自信)を持つ事だ』と、今は思います。
93㎆入りました

  ショップには全体で100㎆入れていいのですが、最初から、余裕を残して95㎆くらいにしようと思っていました。後から入れたいものが出て来たときのために空けておきたかったのです。
  およそ90㎆前後になった頃、そろそろ、入れられそうな本も底を突き出しました。本棚の上の方にあった、夫のお仲間たちがつくった専門書、たくさんあっても、もうほとんど読まなくなってしまったものなので、「入れていいか」と聞きましたら、「いい」ということだったので、42冊ほど,レア本として、高めの値段を付けていれました。
  これで、やっと91㎆を超えて行き、更に後は何かと探しましたら、本棚の一番下にある大きな本に気がつきました。重要文化財の美術全集です。美術全集は二種類あって、古い方は諦めて、上の娘が貰うことになっていたのですが、もう一種類のこちらは入れてみようかということになり、クリーニングをしながら、点検してみますと、三巻ほど紛失していました。これだけ大きい本ですから、どこかにまぎれていること等は考えられませんから、無いものとして、一冊ずつ写真を撮り、29冊アップして行きましたら、やっと、93㎆を超えて行きました。
  「これで終わりにする」と家中に宣言しました。後は私の枕元にあってまだ読んでいない本や、読みたいと思って外してある『生活の世界歴史』10巻を入れれば、95㎆くらいになるだろうと計算したのです。時は2月、前年6月の末に、最初の三冊をいれてから、夏休みを挟んで、正味7ヶ月、まさに計画通り、入れられそうな本はほとんど入れました。後は時々手直しをしながら、見つけた本をちょこちょこ入れながら、お客様の注文を待っていれば良いわけです。万歳、一段落。
  早速、3月Ⅰ日に計12冊の大量注文を頂いてしまいまして、ここで初めてゆうパックという、箱で送る経験をさせて貰いました。何事も勉強です。
  学んだことの一つは、ゆうパックはゆうメールと違って、手紙を入れてもいいのだそうです。だから、入っていないかどうか、中を見せてから封をするということは必要ないようでした。知らなかった私は領収書を別便で送ってしまいました。
  もう一つ、これは重量だけでなく、箱の大きさでも値段が変わるのです。一応ネットで、値段を調べてから郵便局に行ったのですが、私が調べたのは縦横長さが60センチ以内という値段でした。実際郵便局員の女性が測ってくれると、80センチギリギリで、彼女はテープを貼り直して縮めてくれ、80センチに収めてくれました。それでも予定より200円オーバー。良い勉強になりました。
  それで、12冊減ったのだから、㎆は減ったろうと思いましたら、一つが5冊セットのものだったので、まだ92㎆以上ありました。二年後くらいには全面的な手直しをしようと思っていますが、その頃までにどのくらい減っているでしょうか。楽しみです。
仕事はハードなもの 

 二月始めにも四件ほどお買い上げいただきました。一番うれしかったのは自費出版の新刊をお買い上げいただいたことです。そうなんです。それが売りたいばっかりにショップを開いたのです。手持ちの中古本の販売はおまけのようなものです。勿論売れなければ困ります。家もいっぱいですから。
  その中に、ファッショングラフィティなる、およそわが家の所蔵本としては似つかわしくない本がありました。夫が知り合いの方から頂いたか、買ったか、著者のサイン入りでした。
  それはとても大きくて重いペーパーカバーの本で、中は見るもまばゆい民族衣装のオンパレードのようでした。ようでしたというのは、わが家ではそういう本を好んで見る人はいないのです。夫の興味は建築、歴史、宗教。私は文学、歴史、ハウツー本。娘は歴史、映画,漫画。嫁に行った上の娘はこれに占いの本が入ります。
  だから、本の中はとてもきれいだったのですが、重い本なので、何度かの引越しでぺ—パーカバーの上部に擦り傷や破れができてしまっていました。帯も日に焼けて緩んでいました。こういう装丁の本は傷み易いのだと思いますが、アマゾンに出ているのを調べても、中身はこれだけ豪華な本なのに、高い値段のついているものはありませんでした。  で、中身で勝負とばかり,著者サインにも後押しされて、値段を少し高めに設定しました。
  お客さんは同じものを二冊買ったのだそうです。そして比べてみたら、私の送った本がみすぼらしいのに高いと言って、お叱りのメールを頂きました。  大分ショックでした。確かに表面はみすぼらしいのです。だから、最初に『ごめんなさい』と書いて,高い理由も書いて、『返品でもいいですよ』と書いて返信しました。初めての返品かと思いました。そこはすぐにへこたれる私ですから、しばらく意気消沈していました。
  けれどもすぐに、メールが来て、『表紙を見てショックを受けてあんなメールを書きましたが、中はきれいでしたので、このまま頂いておきます。大事にします』と書かれていました。感謝のメールを送りました。だって、家ではあの本の居場所は無かったのですから。
  もう一つ、意気消沈したことがありました。最初の頃、いらないものの代表として、古いレコードがあったので、音楽関係という項目をつくって安く、並べてありました。そこの注文が来てしまったのです。『どうしよう』と思いました。レコードプレーヤーだって、とっくの昔にありませんから、聞こえるのかどうか,確かめるすべもありません。一晩悩んだ末に、一応送って,向こうで確かめてもらうことにして、「もしダメだったら廃棄して下さい」と書きました。
  その上にもう一つ攻められるべきことがあって、私は聞いたことの無いレコードだったので、『未使用』と書いてしまったのです。でも中を見たら、『使用感あり』で、多分、娘のものだったのでしょう。これを書きましたら、即、返信があって、その方は、未使用のものが欲しかったようです。未使用のレアなレコードから専門の業者に頼んでCDをつくるのだと言っていました。『プロなのだなあ』とちょっと背筋が寒くなりました。その時は、もう送ってしまった後で、結局向こうで廃棄してもらうことにしました。
  勿論、慌てて音楽関係のカテゴリーは削除しました。これも意気消沈しましたが、『自信の持てない商品は並べない』というのは当たり前のことなのです。学習させてもらいました。
  で、しばらく、沈みがちだった私に、最初に読んだ営業マンの吉江氏の『いけしゃあしゃあとやれ』という言葉が浮かんできました。夫も、「引きずらないことだよ」と励ましてくれましたが、元々、すぐに忘れてしまって引きずらない名人の夫はこういうときはいい手本になります。
ビフォーアフターより安い 

 ところで、この暮れ正月、夫と私は大げんかをしました。
  いえいえ、本の事ではありません。夫がいつもの脳天気を起こして、NPO法人の理事長になると言い出したからです。昔、財団法人の理事長になって大変な思いをした事を、事務方をした私は忘れないのに、得意顔で名刺を配っていた夫は覚えていないのでしょうか。仲間内で推薦されたのだと言って、ニコニコして帰って来ました。
  大げんかになりましたが、怒るよりも呆れ果ててしまった私は、今回はそこで止まってはいませんでした。
  「私も年金が入る歳になったし、ビフォーアフター用にと貯めていた貯金もあるから、この際、家を買って離婚する。この年でもうあんな思いをするのはいやだから」と、さっそくコンピューターで家探しを始めました。
  お金のなかった昔は、子供達もまだ独立前で、どんなに不本意で大げんかをしても夫の言う事に従うしかなかったのですが、今回はお互いにわずかずつでも生活の資になる年金があり、本屋さんは諦めるにしても、少しだけ、自由になるお金がある。それが私の行動を後押ししてくれました。
  それに、『ああこれでこの脳天気と縁が切れる』と思ったら、淋しさよりもホッとする気持ちの方が正直強かったのです。
  更に驚いた事には、コンピューターで一千万円以下で買える家を探してみると、地価の下がったわが家の近くでは結構あるのです。少子化の時代ですから、家余りの時代でもあるのでしょう。その中の一軒は、高速道路の近くで何か問題もあるのかと思いましたが、七〇〇万円超くらいで、築十数年でした。大きくはありませんでしたが、私と娘には充分です。テレビで見ていても『ビフォーアフター』のリフォーム工事には少なくても一千万円はかかっています。中古物件を探した方が安いのではないかと思ってしまいました。
  最初のうちはさほどおおごとだと思ってもいなかったらしい夫は「このところは中古住宅も値上がりしているらしいよ」等と叫んでいましたが、私の本気度が増すに連れて、「俺は断ったんだけど、どうしても押し切られてしまったんだ」と言い訳をしながら、お仲間に断りの電話を入れ始めました。
  それから、二、三日して、お仲間全員に断りの手紙を出して、やっと一件落着しました。まさに夫婦はときどき戦争ですね。
  夫もまだ何かしたいし、出来ると思っているのでしょうが、今まで失敗の方が多くて、不安な思いも何遍もした事を思えば、七十歳も超え、健康面でも問題を抱えているこの先、気楽な仕事以外は出来ないはずなのです。私だってそうです。失敗の可能性のある仕事は、歳をとってからはしてはいけないのです。
ふるさと文庫 250冊

  いよいよ棚二列に並んだ『ふるさと文庫』の番です。前にも何度かお話ししましたように、お金のない時代に、夫が毎月、5、6冊、三、四千円払って、買い続けていたものでした。お金を払って、そのまま手近の本棚に並べてしまうのです。苦しい生活をしていた私はついに堪らなくなって、「もうダメ」と言いました。それが本棚に二段,今でも残っているのです。数年前、古本屋さんに来てもらって持って行ってもらったものの中にはそれらは入れられなかったのでしょう。何せ、読んでいないのですから。
  きっとそういう人が多かったのでしょう、アマゾンの古本コーナーには大抵のものが出ています。皆さん読み切れずに,古本屋さんに渡してしまったものが多いのではないでしょうか。私の叔父は読んでいると、昔,言っていましたが。
  だから、値段を調べるのは楽でした。家のは、ちょっと焼けがあってもほとんど未使用ですから、高めの値段設定になってしまいます。『こんなにたくさんあるのに、この値段では売れないだろうな』と思いながら入れて行くと、中には『あっ』と驚くような高い値段のついたものも出て来ます。それと、冊数が余り出ていないものはけっこう高いのです。ですから、アマゾンに出ていないものは、高い値段にしても良いのでしょうが、それは需要と供給の問題ですから、なかなかそうもできません。
  そう言えば、最初の頃、まだ『ふるさと文庫』を集中して出していなかったときに、一、二冊出したものがありました。アマゾンに載っていなかったので、二倍の値段にして出しておいたのですが、早々に買って下さった方がいて、その本は同じものが二冊あったのですが、後で同じ方がもう一冊も欲しいと注文してくれました。
  勿論『ダメ』と言いました。だって、最初の一冊を読んでいないということでしょう。どうしちゃったのでしょう。『せっかく未使用のいい方を送ったのに』と、腹を立てるのもお客様に対して失礼なのですが、行方が気になってしまいます。
  それで、最初の方で入れた本の値段を見直して値上げをしました。そうしましたら、正月から二月初めにかけて、週に一冊の割で来ていた注文がぱたりと来なくなってしまいました。
  いいんです。本当に欲しいと思って下さる方が来て下されば。月に一冊だって、年に一冊だって。  このあと、希少本の報告書の類いも入れて、いよいよ、80㎆になりました。
22万円の本が棚の上にあったのです

  夫が姑の絵の勉強用にと買ってあげた『芥子園画伝』という本が夫の本棚に並んでいましたので、今は使わなくなってしまったあの本達もショップにアップしなければならないと棚から下ろしていましたら、その先に箱があったのです。何が入っているのか、『また要らない紙類かしら』と思いました。事実、要らない紙類の入った箱が棚に並んでいた事もあったのです。
  中に入っていたのは『三愚集』という本でした。本と言っていいのかどうか。その外箱の中に帙という布ばりの箱があって、その中に小口を金で輝かした布ばりの本が眠っていたのです。
  三愚というのは、小林一茶、夏目漱石、小川芋銭の事です。つまり、その本は小林一茶の句を、夏目漱石の書で、小川芋銭が絵を描いて本にしたのです。それを当代一流の和紙を使い,当代一流の職人の手で仕上げ、金で輝かして、装丁に出来る限りの贅を尽くしたのです。その初版通りに作り上げた限定300部の復刻版でした。
  その初版を作った人が、小林一茶も寄寓したと言われる、お金持ちの醸造業の家の婿養子さんで、その家の跡取りが、復刻したようでした。
  その婿養子さんは、跡取りが成長すると分家して、事業を興し、やがて失敗してしまったようですが、その方のお孫さんが夫の知り合いだったのです。
  その箱の中のパンフレットに、お孫さんの書いた晩年の婿養子さんの様子がかかれています。わび住まいで生活していても、いつもキチンと居住まいを正していたが、かっての文化人としての華やかさはもう無かったというふうに書かれていたと思います。
  つまりは芸術家のパトロンだったのですね。何となく判ります。夫も同じような事をした事がありましたから。パトロンでいるのは楽しかったでしょうね。有名人がみんな子どものように慕って頼ってくれますから。終にはこんな本も作ってしまったのでしょう。
  この本を定価通りの22万円で出しました。本当に世の中にこういう本を所有したいと思う人がいるのだろうかと思ったのです。欲しかったのはもしかしたら、作った本人だけではなかったかと私には思われたからです。
  夫は買ったなんて一言も言わずに、棚の隅に隠してあったわけですから、世にも珍しい人種の部類なのです。これで60㎆。