2013年9月24日火曜日

出会いについて 

 『出会いをありがとう』というのはビジネスマンの話だと思っていました。ビジネスマンは出会いがなければ仕事にならないですからね。
  でも、『生きていくという事は出会いの連続なのだ』とこの頃思います。
  例えば、私は小学生の頃、シェークスピアに出あって、その頃、シェークスピアの全てを理解したとは言えませんが、物語を作る人に憧れたのです。その後も憧れは続き、英文学を専攻しましたが、私がシェークスピアに近付けたとは全く言えませんでした。でも、その出会いから一つだけ生まれた事がありました。家族を引き連れてのヨーロッパ貧乏旅行です。そのとき、イギリスのストラッドフォードアポンエイボンに行ったのです。シェークスピアの生まれた町を一度見たかったのです。その町は何百年もの間、そういう人達でにぎわっているようでした。これも出会いではありませんか。
  もう一つ感じたのは、先日、房総一周旅行に参加させてもらった時の事です。その旅行は友人が企画して、夫を講師に招いてくれ、毎年一回同じようなメンバーが、元気な顔を確かめあうように参加する楽しい旅行でした。
  今回友人は夫が修理工事をした事のある飯縄寺を取り上げてくれ、そのお寺のご住職と、やはり以前に訪ねた事のある行元寺のご住職が、「今日あるのは先生との出会いのお蔭」とお話の中に取り上げてくださり、夫も面目躍如の思いをさせて頂きました。
  でも実は数年に渡る工事をしていた頃はいろいろ問題も起こりまして、その事を忘れられない対人恐怖症の私は戦々恐々だったのです。それを見事に昇華させてくれたのは、多分企画した友人の根回しと『波の伊八』だったのだと思います。
  房総は昔から江戸に近かったのです。江戸からお寺さんに来る道中記もあったと聞いています。それが、修理も無事なった近年、ご住職が「誰か来てくれますように」と天狗さんに頼んでいたところ、何日目かにJRの方達が来て、文化財修復支援事業で仁王門を修復してくれ、更に『デスティネーションキャンペーン』という企画で、この地方のお寺の広告をJRすべての車輌に掲げてくれたのだと言っていました。もう一つのお寺にもそのようなビラが貼られていました。その中心にいたのが波を彫らせたら並ぶもの無しと言われた『波の伊八』だったのです。
  最初に行った飯縄寺の結界欄間には『天狗と牛若丸』という最高傑作の一つと言われる繊細な欄間彫刻がありました。もう一つの行元寺さんには『波に宝珠』という横波の波涛に宝珠が浮かぶ様子を描いた欄間彫刻があります。これを見た葛飾北斎が『神奈川沖浪裏』という浮世絵にその描法を用いたのだそうです。『これはやがてゴッホやクローデルの波に転生し、またドビッシーの交響曲『ラ・メール』の誕生になったと言われます』と説明書に書いてありました。
  大きく実るにしろ、小さく実るにしろ、毎日は確かにこういう出会いの連続のような気がします。
  私の私のショップ、エブリカラーにしてからがそうです。最初のお客様で緩衝剤を入れ忘れ、次からは注意しました。送った商品が届かなくて、お客様と一緒に探しまわり、危機管理を学びました。お客様の代引きのご希望に添うように学習して出来るようになりました。音楽関係のような失敗学習もありましたが、大量注文を頂いて箱で送る方法も学びました。適切な(と思われる)値段もアマゾンやお客様の反応を見て学びました。つまり、アマゾンに載っていない本の引き合いが多かったのです。やがて、そういう本は高く売れるのだという事に気付きました。
  大きな実りばかりを期待しないで、小さな出会いも楽しんで大事にして行けば、年齢に関係なく、やがて成長につながるのだと思いました。