愛くん
今、NHKの連続テレビ小説は『純と愛』です。ホテル経営という目的意識を持った女の子と、双子の兄弟に死なれてしまっておかしくなってしまった男の子が結婚して一緒にホテル経営を目指すという物語ですが、今この時点では、まだ結末は判っていません。
その男の子、愛くんはどんなところがおかしいかと言うと、人と目を合わせると、相手の心が見えてしまうのです。そうすると、恐ろしくて相手の顔を見られない。少しでも相手の心に悪意を感じると、口も利けないし、近付く事も出来なくなってしまうのです。
そんなふうですから、仕事にもいけないので、純さんが外で働いて、才能豊かな愛くんは得意の料理やコンピューターの知識を駆使して、純さんを内から支える生活を始めるわけです。
で、何に感激してこんなストーリー説明をしているかと言うと、作者の着眼点です。『相手の心が見えてしまって恐ろしくって』という経験は誰にでもある事なのですよね。『目を見ると』とか、『顔を見ると』とかという極端な事ではなくっても、『言葉の端々』とか、『態度』とか、『表情』とかに出た相手の感情に恐怖を感じる事は誰にでもある事ではありませんか。特に、世の中、勢いよく生活している人に対する時に。
『気後れ』がするというのかも知れませんが、私の『対人恐怖症』もその種のもののような気がしたのです。
で、愛くんは、純さんの愛情に守られて生活しているうちに、だんだん相手の顔を見ても心が見えなくなって行くのです。それは今度は自分の方に勢いが出て来たからだと思います。自信が着いて来たという事です。自分から発信する勢いです。
『なるほど』と思いました。
自分の事を振り返ってみますと、子供の頃の私は、親の権威に甘やかされて勢いが良かったのです。世の中の事をあまり知らずに結婚したものですから結婚後もそうでした。あまりの勢いに夫は『恐ろしい』と言った事もありました。ある意味では世の中への恐怖に対抗しての勢いだったのかも知れません。
それが、やっと生活が落ち着いて、お金の心配をしなくても良くなって、自分も落ち着いて内省するようになり、同時に人びとの顔や社会状況も見回せるようになってみると、今までの自分に対する評価が気になり出したのです。『悪い事をしたな』とか、『恨んでいるだろうな』とか、そればかりではなかったはずなのに、そればかりが思い浮かんで、人に近づけなくなってしまうのです。
愛くんの恐怖心も、その家族全員の苦しみも、死んでしまった双子の弟に『なぜもっとしてやれなかったのだろう』という後悔ばかりが浮かんで来るからなのではないでしょうか。
私もお蔭で、身内には随分優しくなりましたが、新しい人間関係を築こうとは思わなくなりました。
ある意味、『歳をとって丸くなる』と言うのはこういう意味なのかもしれないと思う事もあります。誘ってくれる友人知人には申し訳ないですが、『良い事なのだ』と思う事もあります。そして、理想の境地は、『周りのみんなに優しく、恐怖感を感じさせない勢い(自信)を持つ事だ』と、今は思います。