2024年3月23日土曜日

 マンスリーマンション

 仕事を頼みこんだ状態で、次に気になるのは二台しかない駐車場の問題、夜ネットで仕事をしていて昼に寝ている娘の安眠の問題、家工事の煩わしさなどを考えて、外に部屋を借りることにしました。

 ところがです。今まで私は自分で部屋を借りたことなどなかったんだとつくづく思わされました。礼金敷金無し、近くで安いところ、など条件を並べてネットで探して、問い合わせをして驚きました。礼金敷金は無くなっても、初期費用というものがあるのです。保証料、鍵交換代、清掃費用、保険料等、いろいろお題目をつけて、およそ10万円。更には1、2か月間の契約はしないのだそうです。

 普通のアパートはあきらめて、一番最初に気になっていたURの賃貸も見てみました。そこはもっとダメ。収入が家賃の四倍無いと資格がないのです。そうしたら、年金暮らしの年寄りは、門前払いで問い合わせすらできないことになります。改めて、家があってよかったと思いました。

 他にもいろいろ考えたのです。ネットカフェ、近くにあります。ネット使い放題、食事もできる。でも毎日では飽きるでしょう。ジプシー生活、今日はこの町、あの温泉。山の上のキャンプ。これも疲れそう。

 それで行き着いたのが短期滞在型のマンションというわけです。これは近くには無くって、近年沸騰している隣の市にたくさんありました。その中でも安いのを探して、工事期間が決まったら申し込みをしようということにしました。これで昼間寝ている娘の部屋を確保。

 私は夜は家で寝られるので、昼間は外で活動できるのです。で、昔行っていた公立の温水プールを思い出しました。そこにはお風呂と休憩室もあって、半日くらいは時間をつぶせると思っていたのですが、調べてみると、さらにトレーニングルームが新設されたようです。昔そこにはデイケアセンターがあったのですが、そのデイケア施設が無くなってみんなの使えるトレーニングルームになったようです。

 で、これはいいと思いました。ここは同じ市内でも家からは遠いのですが、隣の市に近いのです。途中にはショッピングセンターもあって片道30分くらいの範囲です。

 午前中、トレーニングをして、昼をそこで食べ、少し休んでプールとお風呂。昔行っていた時に、朝バスで来て、午後バスで帰るまで、プールとお風呂とお昼とおしゃべりを楽しんでいるおばあさんがいましたが、あの人は今でも元気に来ているでしょうか。今度、下調べに行ってみましょう。

2024年3月16日土曜日

 屋根修理

 先日郵便局で声をかけられなかった知人のご主人が、「俺が亡くなった後もこの家に一人で住むつもりなら屋根を直しておいた方がいい」と言ったという言葉が思い出されました。

 わが家も、娘と私、あと二十年この家に住むなら、屋根の雨漏りとハクビシンの穴だけはふさいでおかなくてはなりません。でないと、屋根裏が気になって暖房もかけられません。そう思いながら、ここまで来てしまいました。

 下は何とかDIYで娘と二人でできる気がしていますが、屋根は無理でしょう。欲を言えば、隣にまで雨水が行ってしまう屋根の構造、断熱効果をもっと高めるような、ペンキの塗り替え、カバー工法、相談したいことは山ほどあります。

 いよいよ四月が近づいて、決心して、昔夫がお世話になった設計士さんに電話をすることにしました。その前に友人に4年ぶりに電話をして、まだ彼は仕事をしているだろうかと聞きました。みんな私と変わらない年なのです。

 ある日、自分を鼓舞して電話、これもチャレンジです。

2024年3月12日火曜日

 70代後半、声をかけられなかった

 いくら臆病な私でも、70代前半にはこんなことはありませんでした。夫が亡くなって4年半以上、遺品整理をしながらの日々は忙しくて、あっという間でした。

 やっとこの頃時間もできて、四年前、頻繁に電話をかけてくれた友人のことを時々思い出すようになりました。ここ、ニ年ほど電話が来なくなっていたのです。

 最後の電話では、「主人の腕にすがって散歩してきた」と言っていました。いつも面倒見のいいご主人のおのろけばかり聞かされていたので、「またのろけて」と体調の変化等信じませんでした。彼女は私より二歳ほど年上でしたが、高校では体操クラブで、平均台等得意種目だったと話していたことがありました。運動クラブなど入ったことのない私がこの程度なのだから、彼女が歩けなくなることなど全く思いませんでした。でも、電話魔の彼女がここまで沈黙するのは、やはり何かあったのだろうかという思いが頭から離れません。

 何度か電話してみようかと思いましたが、かけられませんでした。この年代になるとニュースはいいことばかりではありません。歩けなくなる程度ならまだしも、認知症で忘れているかもしれません。そういうニュースは聞く方も言う方も嫌だろうと思えました。

 こんなこともありました。ある日、郵便局に車で入って行った時のことです。どこかで見かけたことのある人だなと思える人が前を歩いて自分の車の方に行きました。車は以前の車ではなかったので違う人かと思いましたが、相手もこちらを気にしているようで、やっぱり知人のようでした。私は声をかけるのはやめて、知らぬ顔をして、車を止め、マスクをしました。

 彼女は元気そうに新しい車を運転していましたが、彼女には糖尿病で入退院を繰り返していたご主人がいたのです。話をすれば当然その話題は外せないと思いました。

 この年頃になると、いいニュースは無いと思った方が無難です。

 昔懐かしい、あの顔、この顔も思い出の中に留めておいて、今身近にいる人々を大切にした方がいいのだと言い聞かせています。

2024年3月1日金曜日

 近頃のユーチューブ、『1979 Fausto Cigliano - 私だけの十字架』

 この頃、私の『好きな歌リスト』に藤圭子さんが入って、ある晩遅くまでユーチューブサーフィンをしていたところ、突然この表題が出てきたのです。いかにも優しそうで気弱そうな40代の男性がギターを持って歌っている写真でした。すぐに気付きました。『この人があの歌を歌っていたんだ』と。まさに『やっと会えた』という感じです。

 動画の下には、コメントがエンドレスのように続いていました。一番上にあったのはこれです。

『Wikipediaによると2022年2月17日、85歳で亡くなられたとのこと。素敵な歌声をありがとう。ご冥福をお祈り申し上げます。』

 私は何年か後に気が付きましたが、クロード・チアリさんと間違えていたという方もたくさんいました。チアリさんはフランス人で、この方はイタリア人のカンツオーネ歌手だそうです。

 読んでいくと、私がどこでこの歌を聞いたのかがわかってきました。私は長年、これは『火曜サスペンス劇場』のエンディング曲だと思っていたのですが、違ったようです。あのころ、1979年って、子育て真っ最中で、仕事もして、それでもテレビは見ていたのでしょう。内容はほとんど覚えていませんが、この歌だけはずっと心に残っていたのです。歌詞もうろ覚えで、何を歌っているのかも推察しかねていましたが、声と曲だけで感動していたというのが本当のところです。この歌を聞いて涙が出たという方がたくさんいました。

 そんな私のためのように、歌詞を書きとって、情報をくれるコメントがありました。

『私だけの十字架

【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】

  歌  :ファースト・チリアーノ

作詞:尾中  美千絵

作曲:木下   忠 司


風が吹けば港に

船は帰りくるけど

若い愛をかわした

笑顔二度と見えない

あの人はあの人は

丘の白い十字架


星の揺れる港を

ふたり見てたあの日よ

肩に受けた口づけ

愛の形見消せない

あの人はあの人は

私だけの十字架


陽ざし揺れる港を

船ははなれてゆくけど

愛の祈り交わした

声は二度と聞けない

あの人はあの人は

風と語る十字架

風と語る十字架』

 こんな情報もありました。『何より驚いたのは作曲した人が特捜最前線の中で流れる音楽はもちろん、水戸黄門の音楽や主題歌「ああ人生に涙あり」をも手掛けたあの木下忠司(ちゅうじ)だとわかったことかもしれない。』

『この曲は作曲は木下忠司さんですが、編曲は銀河鉄道999TV版音楽を手掛けた青木望さんでした。999の哀愁がこの曲にも反映されていて、素晴らしい曲になっています。』

 この『風と語る十字架』っていい言葉ですね。情景がこれだけで分かります。

 【ドラマ:特捜最前線エンディングテーマ】となっていますが、私は二谷英明さん主演のこのドラマ、全く覚えていません。覚えていたのはこの歌だけだったのです。

 いま、フルバージョンで聞いてみると、人生を包み込むような声量と歌い方だと思います。これがカンツォーネというのでしょうか。

 涙を流しながら聞いているというコメントがいくつもありましたが、中に、昔お母さんと一緒にこのドラマを見ていて、今は一人でこの曲を聴いていると涙が止まらないというのもありました。また、「この歌は他に誰もカバーできないだろう」というコメントもありました。

 ファウスト・チリアーノで、今、ウキペディアを見てみましたが、俳優さんもやっていたみたいです。道理で、歌に心を入れるのがうまいと思っていました。亡くなるまで活動していたようです。

 これからも私の歌リストに入れて頻繁に聞きます。