亡夫の誕生日
マイナポイントの申請に行ってきて、すっかり忘れていました。私のマイナンバーカードの暗証番号は夫の誕生日なので、何回も使ってきたのですが、その番号が今日という日につながりませんでした。
やっと気が付いたのは、今、夫が帰ってくるような気がして、「そんなはずはない」と打ち消した時でした。「そう言えば、今日だったのです」
夫は照れ臭いのか、家で誕生日をすることはほとんどありませんでした。昔から、お友達とどこかでお祝いして、酔っぱらって帰って来る。嫌な日でした。誰に言わせても、私が気が利かないからなのでしょうが、この点でいえば、お互いさま。あまり記念日などを祝うことが好きではない夫婦でした。
特に私は古稀とか喜寿とか、ほとんど関心がありませんで、冷静に『何歳』と思うだけです。
歳をとって、さすがに祝いあうお友達もいなくなったようで、「今年は喜寿だ」と娘夫婦に催促して祝ってもらっていました。
このように夫のこともときどきは思い出すのですが、この頃、母のことを思い出します。私と母はそんなに仲のいい親子ではありませんでした。母は忙しく、娘に何かを教えたり、躾けたりするような時間を取れませんでした。その代わり、なんでもやってくれましたし、助けてくれました。口で言うより、その方が早かったのでしょう。
おかげで私は何にもできない、何にもわからない、世間に出て、よそ様に叱られたり、嫌われたりするたびに、基本のしつけもしないまま、放り出されたと思うようになりました。あとで考えれば、『世の中ってそういうもの、その場でしか学べないものはたくさんある、特につらいことなど』は。とわかるようになるのですが、つらいときはやっぱり、『教えておいてほしかった』と恨んでしまいます。
そしてこの頃は、あのボケ―としていて、何にも考えずにみんなやってもらっていた頃のままでいたかった、『母親の羊水の中に帰りたい』と誰かが言っていましたが、『生まれて来なければ、どんな苦労も味わなくて済んだのに』と思います。
私の子供たちもいつかそんなことを思うのでしょうか。
だから、亡夫はきっと、姑の傍らに行って甘えているのだろうと思うのです。
もう直ぐお盆のこの時期、私はあまり信じないのですが、帰ってきたのかもしれないとも思います。