2021年5月31日月曜日

 ジャムの季節

 五月六月は家庭菜園は忙しい季節です。幸い我が家では「どうせ育たない」と種まきはあきらめましたが、草取りの合間にイチゴが赤くなっていたり、天ぷらにいいような野草がいつの間にか大きくなっています。今年の一番の収穫は桑の葉です。実はほとんどなっていません。でもこの桑の葉、血糖値を下げると宣伝していましたよね。天ぷらだけでなく胡麻和えも美味しいです。

 我が家の地植えのイチゴは、そのままでは酸っぱすぎるので、洗って砂糖をかけて電子レンジでチンしてジャムにします。食べ終わらないうちにまた次が赤くなります。冷蔵庫がいっぱいになります。そこに来て、梅の実を拾ってきました。欲張ってたくさん拾ってきたので、ジャムが三瓶もできてしまいました。

ジャムって、パンにつけるか、ヨーグルトに混ぜるかしか食べ方を知りませんでしたので、さあ大変です。食べ方を考えなければなりません。で、この梅ジャムは、納豆に混ぜてみました。いつも納豆に砂糖をかけた梅干しと梅酢を混ぜていたので、そこからの発想です。梅ジャムはちょっと甘すぎましたが、酸味があって同じようなものです。量を加減すれば使えます。

あとは何でしょう。今年は琵琶はなりませんでした。イチジクもダメ。でもブドウがたくさん実をつけています。あれが紫色になったら、やっぱり酸っぱいので、またジャムですね。

 膝の痛み、整体屋さんのユーチューブ

 歩けないほどの足の痛みの話は前にしましたが、今もまだ引きずって歩いています。

 このかん、運動はラジオ体操から、ユーチューブの局所ヨガに変えました。肩とか膝とか股関節とか、悪そうなところを狙い撃ちで攻略出来たらいいなというわけです。もちろん痛いので、昔ヨガをしていた時のように足を組んだり、ひっくり返ったりはできません。でも、できる範囲でして、同じことが次はできるようになると、少しは良くなっていると感じられるわけです。

 薬嫌いの私は、お医者には行かないことにして、湿布薬をしこたま買い込みました。今思うと大変な散財です。それも最初は効くと思ったのですが、ある程度すると、効果はそれ以上は上がりません。

 次に考えたのが、整体屋さんのユーチューブでした。コロナ下でもあるし、お金もかかるし、時間もないしと考えていたのもありましたが、ユーチューブにヨガと同じようにストレッチの動画もあって、それを見ていると、今度は整体屋さんの動画が時々上がってきていたのです。そこで、『膝』と検索してみると、日本国中の整体屋さんがユーチューブを使って発信しているのを知りました。

 私の悩みは最初のころは膝周りの痛みで歩けないというものでしたが、この頃は膝の腫れと痛みで足が曲がらなくなっている、いわゆる正座ができない。これは世に言う『膝に水が溜まる」という現象ではないかと思いました。

 で、それ関連の動画を見てみたら、『膝が痛いときは、まず肩から緩めていく』という動画がありました。確かに肩も痛いのです。痛いのは右足で、左肩、これは心臓にまで来たかなと湿布薬を体中に張っていたのです。

 で、これは的を射ていると思い、整体屋さんのユーチューブをあちこち漁って見始めました。『膝の水の抜き方』とか、『膝が痛くなる人の歩き方矯正』とか、なるほどと思って、やってみると確かに効く感じはします。でも一回二回では元に戻ります。で、コンピューターにそれ専用のファイルを作って、何個か収め、日替わりですることにしました。これで、朝ヨガのファイルと夜ヨガのファイル、整体のファイルと三つできて準備はOKです。あとはやるだけ。

 それとこの頃、気付いたのですが、湿布薬って炎症を抑えるものです。だとしたら、氷で冷やしても同じではないかと考えて、保冷剤を袋状のものに入れて足にまきつけました。これがとても気持ちがいいのです。夜はこれで十分です。なんでも市販薬がいいとは限りません。私たちもどこかで洗脳されているのです。基本に立ち返ると、違ったものが見えて来ると感じました。

 英国ミステリー噂話 バスカビル家の犬 

 もう何度も見ているからいいやと思ってしまいがちな、ジェレミー・ブレット主演の『シャーロック・ホームズの冒険』、確か『バスカビル家の犬』は面白かったなと思い出して、見てみたんです。

 そしたらなんと、前に見たのと全然違う。あれは一時間に編集された短縮版だったのかしらと、啞然としてしまいました。

 何が違うかというと、最初にバスカビル家の当主、チャールズが門の前で人待ち顔に立っていて、それから何かにおびえ、逃げて亡くなるところから始まるのです。確か、前は無かったような。

 その莫大な遺産を継ぐべくヘンリー・バスカビルがアメリカから戻ってきます。

 と、ここで、このヘンリー、ハンサムだし、このドラマは何回か見ているのですが、その他にもどこかで見たことがあるようなと気になって調べてしまいました。名前は、Kristoffer Tabori アメリカの俳優さんだそうです。で、英語版のウキペディアを見てみると、私の知っている作品では、『ジェシカおばさんの事件簿』に出ていたらしいのです。『ジェシカおばさんの事件簿』はほとんど全作品見ているので、覚えてはいないのですが、多分、どこかで見かけていたのでしょう。余計なことですが、両親とも俳優さんで、子役から活躍していたようです。

 で、話しを戻すと、チャールズは門の前で隣人の娘のローラという女性を待っていたようです。ローラは不幸な結婚をしてチャールズに助けを求め、また、ステープルトンという隣人と再婚したいという希望も持っていて、彼の言いなりになっていたようです。

 ステープルトンの妹ベリルが実はステープルトンの妻だったとわかって、すべてが解明されてしまうのですが、このローラを扱った部分も抜けていたような気がします。

 こうして、長編として全部見てみると、やっぱり面白さが違います。ほかの長編も面白そうなのは見直した方がよさそうです。

 本『愛を感じるとき』金賢姫 1992年文芸春秋社発行

 本の整理をしていると、ベストセラーになった本は世の中にたくさん余っているということに気づきます。つまり、そういう本はどの家にもあるということです。 我が家にもご多分に漏れずたくさんあります。そういう本は、我がネット古本屋に出すわけにもいかず、古い文庫本などと一緒に古紙収集に出すしかないのですが、その前に、私が読んでみようという気になりました。

 最初は週に一冊は読めるだろうと高をくくっていたのですが、何のなんのまだ三冊目です。これからは月に一冊を目標にしましょう。

 この本は夫の本ではなく、父の本です。父は意外と本好きで、遠距離通勤のサラリーマンだったせいもあり、結構残して逝き、どちらかというと理工系の弟は読まないので、私が何冊か貰ってきたのです。が、やっぱり積読状態でした。

 この本も、今となっては作者の名前を知っている人も少なくなって、それはむしろ作者の望む普通の状態を作っているのですが、あの当時はベストセラーでした。そして、父も買ったのです。

 彼女は北朝鮮の元工作員で1987年115名が亡くなった大韓航空機858便爆破事件を起こし、バーレーンで捕まる寸前に自殺を図ったが、死にきれず、口にガムテープを張られ、両手をつながれた状態で韓国の空港に降り立った姿が、日本のテレビでも大々的に報道されていました。世間音痴の私でもはっきりと記憶しているのですから、皆さん、衝撃を受けたはずです。             

 その後、死刑を宣告され、やがて赦免されるのですが、この本が出る前に

『いま、女として- 金賢姫全告白』池田菊敏訳 文藝春秋 1991年10月( のち文庫)が出ていて、すでにベストセラーとなり、多くの励ましが届いている様子が『愛を感じるとき』池田菊敏訳 文藝春秋 1992年12月( のち文庫)にも書かれています。

 これは事件から五年後の心の変化をエッセイ風につづったもので、30歳になった作者が北の家族を心配しながらも、結婚もして静かに普通の生活をしたいと願う気持ちが素直に語られています。

 その後、ボディーガードだった元国家安全企画部の部員の男性と結婚し、名前を変え、男児を出産し、ソウル市内で普通の主婦として暮らしているとウキペディアに書いてありました。『やっぱりな』という気がしました。これは彼への愛の告白と同時に、世間の人にも人並みに幸せになることを許してほしいというメッセージだったような気がします。彼も安定した公務員の職を捨てて、愛に殉じたのでしょう。

 『1998年 - 金大中政権が誕生。以降2期10年に渡って親北政権・太陽政策が続き、親北ムードに沸く韓国世論にも押され、逃亡に近い生活を余儀なくされる。』とウキペディアに書いてありましたが、親北政権の文さんの元でも、きっと苦労の連続なのだろうなと思いやられます。

 みんなが幸せならばそれだけでいいのに、なぜ、政治家は自分の主張を押し立てて波風を立てたがるのでしょう。

2021年5月17日月曜日

 英国ミステリー噂話 道 フェリーニ

 『粗野な旅芸人ザンパノに、たった1万リラで売り飛ばされた娘ジェルソミーナ。町や村への巡業を続ける二人だが、自分勝手で女癖の悪いザンパノに嫌気がさしたジェルソミーナは彼の元を離れてしまう。祭礼の夜、綱渡り芸人イル・マットの華麗な演技に魅了されるジェルソミーナ。しかし、イル・マットはザンパノと因縁を持つ男だった……。巨匠フェリーニの出世作にして、数多くの映画賞に輝く永遠の名作。フェリーニ最愛の妻ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインの観る者を惹きつける演技、そして決して忘れることのできないニーノ・ロータのメロディ。今、最新の修復技術による素晴らしい映像と音声で甦る。

 キャスト 出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベイスハート スタッフ 監督・脚本:フェデリコ・フェリーニ 脚本・台詞:トゥリオ・ピネッリ 撮影監督:オテッロ・マルテッリ 編集:レオ・カトッツォ 音楽:ニーノ・ロータ 製作:ディーノ・デ・ラウレンティス、カルロ・ポンティ』

 これ、イタリア映画でした。でも、アンソニー・クインって英国俳優じゃなかったでしたっけ。

 さらに、物語って、最後に行きつくまでは「どうなってしまうのだろう」とはらはらドキドキ、ミステリーです。

 ギャオで映画やドラマを見るようになってから、テレビのミステリーチャンネルで見ていた時よりずっと多くの作品を見られます。でも、なかなか『これぞ』と思う作品を引き当てるのは時間がかかります。で、こういう紹介文を見て、『これは』と思った作品を見始めるのですが、それでもなかなか当たりません。この作品の監督、フェリーニさんは、他にももう2作出ていたので、有名なんだなと思いましたが、他のはなかなか見る気が起きませんでした。

 「『道』(1954年)では甘美なテーマ曲と物語の叙情性とヒューマニズムから世界的なヒット作となり、二年連続のヴェネツィア国際映画祭銀獅子賞、並びに第28回アカデミー賞でアカデミー外国語映画賞を受賞し、フェリーニの国際的な名声が確立する』とウキペディアに出ていましたが、まさにイタリア映画と思わせる作品でいた。

 この作品でヒロインを演じた、奥さまのジュリエッタ・マシーナさんは1921年生まれと書いてありましたから、この作品のときは33歳ころ、『知的障害のある若い娘』という設定にはちょっと老けているかなと思ってみていましたが、それなりに演じ切っていました。知的障害のあるとはあとでウキペディアを見て知ったのですが、どこかチャップリンに似た動きをしていたので、何かあるとは思っていました。

 私は、ちょっと悲しい感じがして、昔見た水上勉の「離れごぜおりん」を思い出してしまいました。障がい者つながりで。

 さて、アンソニー・クインさんですが、アメリカの俳優さんだそうです。言葉は当然吹替でしょうね。1915年生まれですから、この作品の時は39歳ころ、フェリーニさんはジュリエッタさんより一つ年上の34歳ころ、皆さん、まさに脂の乗り切ったころの作品ということですね。

 付け加えると、ニーノ・ロータさんは、フェリーニさんのほとんどの作品で音楽監督を務めているみたいです。

 最後に出てくるカルロ・ポンティってどこかで聞いたことのある名前だと思っていたのですが、例のソフィア・ローレンと何とか結婚した映画プロデューサーのカルロ・ポンティさんらしいです。もう一人のディーノ・デ・ラウレンティスさんも『業界最高峰の人物で、生きる神話の一人とも呼ばれた』そうです。まさにイタリア映画の黄金期ですね。いつか、他のも見てみようかと思います。

 自然農法の反省

 今から一年ほど前、『イタリアの小さな村』というテレビ番組を見て、なるほどと驚いてやってみようと思ったのがこの自然農法でした。

 幸か不幸か忙しくて草取りに費やす時間がなく、植木鉢にびっしり生えた雑草を見ながら、「自然農法だと、この雑草が冬の間の霜よけになり、深く張った根っこは酸素を地中に運んでくれるらしい」と、むしろ頼りにしていたのです。

 ところが、いざ春になって、そろそろ小葱も食べられるという時期なのに、小葱が本当に細いのです。秋の終わりには肥料もちゃんとやって、時々は水もかけていましたので、ちょっとがっかりでした。

 でも、分かるんですよ。雑草だって必死ですから、特に植木鉢だと、水と肥料の争奪戦だと思います。いざ雑草を除けてみると、植木鉢の土の表面に必死に根を張って広がっていました。植木鉢だと、水と肥料は上から来るのです。

 で、反省して、痛い足を引きずりながら、植木鉢をひっくり返して、草をはずし、新しい土を入れて小ねぎを植え替えています。

 来年は冬でも小さい雑草でも、除いて、小葱に栄養をつけさせようと思います。自然農法は植木鉢ではダメみたいです。

 本『「耕す文化」の時代』木村尚三郎 昭和63年(1988)ダイヤモンド社発行

 『いま、文化としての『農』を議論すべきとき。技術文明が成熟した今日「ハイテク」は私たちに新たな驚きや感動を与えてはくれない。真に楽しく、真に創造的で、真に驚きと夢を与えてくれるのは「新しい農業」だ。新たなルネサンスの道がここにある。』帯に書いてある文です。

 この方は、一時代をけん引した評論家です。なので、この本を買ったのは夫です。

 読んでみると大学の先生らしく、たくさんの知識と経験がちりばめられていて、焦点が見えづらいきらいがあります。なので、最初のころは何を言いたいのかなという感じでした。一般にこういう本はストーリー性がないので、内容を把握しづらい気がします。

 やっと中盤になって、私にも分かるような、日本人は農耕民族だから、座してゆっくりと作物の成長を見ながら待っているのが得意、欧米人は狩猟民族だから、五感を使って動き回って獲物を確保するのが得意というのが出てきました。だから、欧米人は次々と技術を開拓しているということのようです。

 次に分かったことは、五感の時代ということです。つまり、高度成長の時代はみんなが脇目も振らずにに働いた。働けば働くほど豊かになり、充実感があって、文句の出ようがなかった。やがて低成長になると、(この本が出版されたのが昭和63年ですから、バブルの前の低成長でしょうか)人びとは働いても十分な見返りがなく、批判する心と、暮らしのハイテク化で時間の余裕が生まれてくる。そうして人々は五感を使って、インワールドルッキングをし始めるというわけです。

 今、低成長の真っただ中にいる私たちにもうなずける話です。特に今はコンピューターを使う人ならだれでも批評家になれる時代ですから、一人一人が五感を使って考えられる時代になり、自分は何者かを考え始める時代になったということでしょうか。そうして、昔の価値、生きるとは何かを再発見する、これがセカンドルネッサンスの時代というわけです。

 で、ここまでで終わってもいいのですが、溢れる知識と経験を持つ筆者は、文化(カルチャー)と文明(シビリゼーション)を論じ、地方独特の文化を大事に考えているといいます。例に挙げるのがヨーロッパ、農業国のイタリア、フランス、工業国のドイツ、イギリス。この二分類は宗教でもカトリックとプロテスタントという違いがあります。更にお酒の好みでも、ワインとビールという違いがあると言います。

 つまり、農業国のフランスやイタリアでは食べ物がおいしい。料理はゆっくりとワインを飲みながら、家族と楽しむ。比べて工業国のイギリスやドイツでは醒めやすいビールを飲む、昼に飲んでも午後また仕事ができるからだそうです。

 けれども、低成長の時代になって、働いても実りが得難い時代になると、本当は自分は何がしたいのだろうと考え始める。そして、著者は五感を使って楽しめるのは農業だと提案しているのです。

 著者の溢れるほどのたくさんの知識をいちいち『なるほど』とうなずいていると、なかなか論点がまとまりませんが、これも一つの自学学習でした。