2012年9月28日金曜日

打ち込みをしていると 

 アマゾンの値段表を見ながら、写真をアップし、少し高めの値段をいれ、中をぱらぱらとめくって、内容の確認をし、筆者の名前などを打ち込んでいると、『こんな美しい本を、売らなくってもいいのじゃないか』と思えて来て、値段をどんどん高くして行ってしまう自分に気がつきました。
 でもね、本当に見ないんです。私は専門じゃありませんし、本は様々なテーマに分かれていますから、夫も専門外のものはやはり見ないのです。もしかしたら、あの頃、よく東京へ行っていましたから、ギャラリーを覗いていたのかもしれません。
  それで、ハタと気がつきました。『もし、このテーマの好きな人がいて、その人がこの本に出会ってくれたら、こんなすばらしいことは無いのではないか』と。
 打ち込み始めて、何日かして、そのことに気がついて、もう半分打ち込んだのを、最初から引き戻して、値段をアマゾンと同じに修正しました。この本を探している人がいたら、早く出会ってほしいと殊勝に思うようになりました。私も少しですが、商売の本当の意味に気付いた気がしました。いくら儲かるかじゃないんですね。出会いを演出してナンボなんです。
  ただ一つ、夫も少しは協力したのか、INAXからの礼状の入っていたのだけは少し高めにしました。本当にきれいなのです。
 本て、つくった人みんなの思い入れがあふれていて、みんなそれぞれに輝いているので、値段は、私ごときがつけるのは本当におこがましい限りだということがよく分かりました。謙虚にアマゾンさんの設定に従わせていただこうという気になりました。
  さて、INAXのうち込みもあと少しになりました。こうして商品を点検して並べて行くのもショップ店主の仕事なのですね。お店は、まだまだ、20分の1しか埋まっていません。写真を撮ってアップして、商品をどんどん多くして行くんですね。そうしてお客さまと商品の出会いが実現したら、始めてお店の収入になるのです。何となく分かって来ました。

2012年9月22日土曜日

値段を付ける

  次に値段です。最初に並べるのはINAXブックレット。昔、バブルの頃、INAXギャラリーが展示会を開くたびに展示品の説明と写真を一冊の本にして出していた逸品です。ギャラリーではそれを千円前後で売っていたようでした。
  以前ホームページで売れた二冊のうち、一冊は『立版古』という読み方も分からない、何か、紙芝居のようなものだった気がします。もちろん今は手元にありませんから正確ではありませんが、きっとそういう趣味を持った人が買ってくれたようなレアものだったのです。もう一つは『学校—学校建築の冒険』、これは卒論を書く学生さんのような方が買ってくれたような気がしていました。
  他の本も専門性が高く、写真がフンダンに入り、数人の専門家が説明文を書いています。
 それで娘達に話してみると、『オークションに出したらいい。本当に必要な人なら高く買ってくれるよ』という意見でした。
  『オークションねえ』と思いましたが、一度オークションサイトは覗いてみたのです。でも、案の定、『私には無理』と、すぐに諦めました。
  そうすると、今度は私が値段を決める必要が生まれて来ました。以前二冊売ったときは、私も原価の千円の値段を付けていたのですが、1900年代の終り頃の本ですし、見るたびにきれいなのです。長く所蔵していたのだし、こんなに手間ひまかけて売り出すのだから、原価+手間ひま、レアものの価値、倉庫代、それにインターネット代を加えて五千円でどうだろうかと、強気に思いました。
  そこで娘が一言、アマゾンで中古品の値段を出しているサイトがあるというのです。見てみました。確かに五千円するものもありました。INAXアルバムというのも一冊一緒に入れようと思って調べてみると、それは一万円超でした。でも、千円に満たないものもありました。
  因みに、『学校』は千円超でしたが、『立版古』は三千円超,立体透かし絵と書いてありました。
  と言うことはこれに準じて値段を付けるのが妥当かも知れないと思い、これよりは少し高めに設定しました。家のものは、ほとんどが初版本で、値段も昔の値段がついていますし、今回私がぱらぱらとめくった程度で、本当に誰も読んでいないのです。アマゾンはものによって配送料無料と書いてありましたが、なかなかそうも行きません。こうして高くはなってしまうのですが、あちらが無くなってしまったら、こちらに注文が来ると思ったのです。
  そしてアマゾンにも出ていない、本当のレアものはいくらにしましょうか。

2012年9月16日日曜日

あきない 

 来訪者が来ているのか、いないのか、よく分からない状態で、お店を開いていると、将来が不安になります。このまま、誰も来ないで終わってしまうのか、それとも千客万来になるのか。これは普通のお店の人と同じだと思います。
  まだ開いたばかりだというのに、『十年したら仕舞おうか』などと考えていたりします。そんなとき、夫の言った言葉を思い出します。「商売を『あきない』というのは飽きないでするからなんだ」と言ったのです。
  その時はただ『なるほどうまいことを言う』と思って聞いていたのですが、今は実感として分かります。商売には『飽くなき工夫』と共に『飽きない忍耐』が必要なのです。それがまた商売の醍醐味でもあるのでしょう。そういうアイディアにも辛抱にもあまり自信はありませんが、努力することに意義があるのかもしれません。
  そういう状態で、『古物商の許可』を取るときも悩みました。将来誰も来ないなら、二万円近くは無駄な投資です。でも『後ろには引かない』と思うなら、これは前に進む道です。それで、前に進む道を選んで警察に申請に行ったのです。これが無ければ、商品の工夫に多様性が発揮できないのですから。
  お金がかかりますから、『先ずATMで下ろして』と思い、八時半に警察につきました。ATMもまだ開いていないので、ドアの開いていた警察に先に行き、説明だけでも聞いて来ようと思いましたら、警察も「九時から」と言われ、それでも書類を取り出して来て説明を始めてくれました。
 「ネットショップを始めたのですが、古物を売る為には古物商の許可がいると書いてあったので」と正直に言いました。
  担当の方が、「古物商を始めるには、いろんな書類がいるんだ」と言いました。「つまり、古物を仕入れて売るわけだから、」とそこまで言われたのを聞いて、私のとちょっと違うと思いました。
 「仕入れはしないんです。手持ちのものを売るだけですから」
  「ああ、それなら許可はいらないです」
  何となくホッとしました。担当の方もホッとした様子だったのを見ると、書類というのがそうとう複雑で、大変なのだろうと思えました。
 「良かったね、一万九千円も取られなくって」と言われて帰って来ました。

2012年9月13日木曜日

JPGで

  スキャナーの設定をしてくれたときに娘がフォトスタジオというアプリケーションを入れてくれました。最初スキャナーで、コピーをするように取って、それをフォトスタジオできれいに切り取り、サイズを指定して小さくすると、出来上がりです。
  次にそれをショップにアップしたのですが、ショップ画面を覗いてみてびっくり、出来過ぎなのです。最初にアップしてあったメインの本が霞んでしまいました。
  これはメインの本も取り直しをしなければならないのではないかと覚悟を決めましたが、六冊ずつ撮った写真の方を、フォトスタジオで切り取って、一冊ずつにすると、同じような画質になるかも知れないと推測し、やり始めました。最初のうちはどうにかうまく行ったのですが、突然、『JPGで』という警告が出て、画像がアップできなくなってしまいました。そこで娘に聞きたいと思いましたが、やっぱり真夜中でした。
  翌日、起きて来た娘に聞いてみましたら、「よく説明を読んでね」というつれない返事。娘も忙しいのだろうと思い、またコンピューターに向き合って再挑戦しました。でも同じです。とうとう行き詰まって、「『JPG』とはなんぞや」とネットで調べてみました。『圧縮イメージ』なのだそうです。そう言えば、最初に切り取ったときに、保存をどうするかと言う選択肢がいくつか出て来たような気がしていましたが、その時は確か、『JPEG』でしていたような気がします。それでもダメだったんです。
  その時ハタと気がつきました。六枚ずつの写真はプレビューのJPEGイメージと書かれていたのです。このプレビューのまま、一枚ずつ切り取ることはできないかと思いまして、やってみたら、できたのです。フォトスタジオを使わなくても良かったのです。保存のときにJPEGを選んで保存すると、それをショップは受け付けてくれました。ちょっと分からないことに、フォトスタジオでつくった画像は受け付けてくれるものとくれないものがあるのです。
  フォトスタジオとプレビューの違いは『サイズ』と『KB』の違いのような気がします。フォトスタジオは『サイズ』と『KB』を小さくできるので、無料のゼロショップのように『100MB』しか商品を並べることができない小さなショップは、大きい『KB』だと商品の数が少なくなってしまいます。しかし、それはまた後で考えましょう。何せまだ、『ⅠMB』も使っていないのですから。
  それで、今は、スキャナーとカメラ、フォトスタジオとプレビュー、『完全に』とは言えませんが、どれも使えるようになりました。進歩です。

2012年9月8日土曜日

商品数を多くする工夫 

 最初のお客様も一段落して興奮が収まると、『もしかしたら、これが最初で最後かも知れない』と、またぞろ不安が頭を持ち上げました。
  ショップの方も余り見られていないようでした。こちらは私が手直しの仕上がり具合を見る為に覗いた分もカウントされるので、リンク元URLを見ると私や検索エンジンロボットが覗いた分がほとんどのようです。来訪者のものと思われる検索サイトのようなものもたまにありましたが、それが本当に来訪者なのか検索エンジンなのか全く分かりません。
  それで不安になって、ネットショップの本を辞書代わりに読んでいましたら、『商品の数の多いショップの方が売上が多い』というくだりがありました。単純に考えてもお客様のニーズの数だけ商品があれば売れるわけです。叉、検索エンジンにも引っかかり易いのかもしれません。
  確かに、以前、ホームページで隠れてお店を開いていたときも、5、6年の間に二冊売れたのはいずれも夫の手持ちのレアな古本でした。ショップに並べた3冊ではなかったのです。
  『でも増やすと言っても』、とためらいがあります。古本を売るには古物商の許可を取らないといけないと、例の教科書本に書いてありました。でも、でもなのです、このシリーズの本は家では一度も読まれていないのですから、つまり、洋服で言ったら『袖を通してもいない』のですから、ある意味、新品なのです。古物商の許可は時間ができたら取リに行くとして、そんな新古本は並べてもいいのじゃないかと思って、先ず、あの写真撮りと格闘しました。
  電池が充分ではなくって、電池を買いに走り、次に本を出して点検、冊数が多いので、六冊ずつ並べて数回に分けて取りました。でもそうすると、一冊ずつが小さくって肝心の表紙の美しさが見られません。
  そこで娘が、昔夫が買って、一度しか使っていなかったスキャナーで取ることを提案してくれました。

2012年9月1日土曜日

農薬列島

  首相官邸周辺の原発反対デモの話が、余り大きく取り上げられることも無くどんどん大きくなっているようです。私も行かなければならないと思うのですが、何時に変わらぬ忙しさを理由に延び延びにしています。
  これは、反体制のデモではないので行き易いのですが、私にはもう一つどうしても提言しておきたいことがあります。もう既に多くの方が指摘されていることで、私が今更言ってもそれこそ、形にはならないデモのほんの一員にしかならないことなのですが、それでも、これは60年の歴史を経て、私のような凡人でも気がついたという真実です。
  昔々、私が子供だった頃、農家のわが家は広い屋敷を持っていました。あまりに広い屋敷内の草取りを一人でする母を気遣って、父が除草剤なるものを始めて導入しました。父の愛情のたっぷり詰まった除草剤は散布され、母は翌日から暑い中を草取りに這いずり回る労働から解放されるはずでした。その頃は他にも田の草取りという田んぼの中を這いずり回る仕事もあったのです。旧暦のお盆に向けた屋敷の草取りだけでも手が抜ければ、母もどんなに助かったか知れません。
  翌日、台風が来ました。一夜明けて、木の枝が引きちぎられ、緑が散らばった台風一過の裏庭で、食用に飼っていた池の鯉が白い腹を見せて浮かんでいました。全滅です。『雨で除草剤が流れ込んだんだ』と父が言っていました。そのとき、子供心に除草剤は毒なのだと思いました。その後、田舎では除草剤を飲んで自殺する人の話もよく耳にしました。田舎では手近な毒だったのです。
  あれから半世紀、父も亡くなり、母も認知症になってしまいましたが、今や除草剤は全盛です。跡を継いだ弟や従兄弟たちは、広い屋敷を持て余し、『除草剤が無かったらどうしようもない』と言います。不動産屋の管理する空き地には草一本生えておらず、草むした墓地などどこにもありません。農地でさえ、パッチワークのように薄茶色の畑が目立ちます。
  私のような凡人は、見過ごしていれば何でもないことなのに、なぜこんなに気になるのかと言うと、化学物質過敏症の知り合いがいるのです。ある知り合いということにしておきますが、彼は除草剤の毒の臭いが分かるのです。近くに行くと苦しくなるらしく、泣きますし、近づきたがらないのです。防虫剤や殺虫剤はもっと過激で、かけられたゴキブリのように苦しがります。どこに混ぜ込まれているのか分からない抗菌剤でも感じ取って苦しがります。
  私たちには分からない毒素を感じ取るのですから、まるで超能力者のようです。でも、未来の見える超能力者が幸せとは限らないのと同じように、毒素を感じ取れる彼も、決して幸せではありません。毒を感じたら避ければいいと思うかもしれませんが、除草剤がまかれ、殺虫剤がまかれ、抗菌剤が揮発する夏には彼の居場所は無くなるのです。もちろん墓参りにも、公園にも、果物の実る田舎にも行けないのです。
  私たちの住む地域では放射能検知器を持つ家庭が増えていますが、この毒素検知器も作れば売れるのではないでしょうか。放射能だけではありません、毒素は確実に存在するのです。撒いているのですから。
  美しい果物の為に消毒は欠かせないし、労働の軽減の為に農薬はある程度仕方の無いことなのかもしれません。しかし、自分達の健康のためにも、できるだけ少なくする工夫と行動をしないといけません。今は機械も良くなりましたから、草を根こそぎにしなくっても、草刈りでもいいはずです。抗菌剤を使わない表示をしてくれれば、一生懸命日に当てます。ゴキブリやネズミはホイホイに任せます。蚊取り機は過敏症の彼によると蚊取り線香よりも水性蚊取りの方が毒性が弱そうです。今は蚊取り線香も昔のものと違うのかもしれません。寝るときはテント式の蚊帳を掛けると安心です。少し労働は多くなりますが、地球を健康にする為には原発反対のデモと同じくらい大事なことだと思います。
  そう言えば、昔々、こんな状態を見越した小説を書いた有名な女流作家がいたような気がします。まだ読んでいないので、今度図書館で探してみましょう。