2012年9月1日土曜日

農薬列島

  首相官邸周辺の原発反対デモの話が、余り大きく取り上げられることも無くどんどん大きくなっているようです。私も行かなければならないと思うのですが、何時に変わらぬ忙しさを理由に延び延びにしています。
  これは、反体制のデモではないので行き易いのですが、私にはもう一つどうしても提言しておきたいことがあります。もう既に多くの方が指摘されていることで、私が今更言ってもそれこそ、形にはならないデモのほんの一員にしかならないことなのですが、それでも、これは60年の歴史を経て、私のような凡人でも気がついたという真実です。
  昔々、私が子供だった頃、農家のわが家は広い屋敷を持っていました。あまりに広い屋敷内の草取りを一人でする母を気遣って、父が除草剤なるものを始めて導入しました。父の愛情のたっぷり詰まった除草剤は散布され、母は翌日から暑い中を草取りに這いずり回る労働から解放されるはずでした。その頃は他にも田の草取りという田んぼの中を這いずり回る仕事もあったのです。旧暦のお盆に向けた屋敷の草取りだけでも手が抜ければ、母もどんなに助かったか知れません。
  翌日、台風が来ました。一夜明けて、木の枝が引きちぎられ、緑が散らばった台風一過の裏庭で、食用に飼っていた池の鯉が白い腹を見せて浮かんでいました。全滅です。『雨で除草剤が流れ込んだんだ』と父が言っていました。そのとき、子供心に除草剤は毒なのだと思いました。その後、田舎では除草剤を飲んで自殺する人の話もよく耳にしました。田舎では手近な毒だったのです。
  あれから半世紀、父も亡くなり、母も認知症になってしまいましたが、今や除草剤は全盛です。跡を継いだ弟や従兄弟たちは、広い屋敷を持て余し、『除草剤が無かったらどうしようもない』と言います。不動産屋の管理する空き地には草一本生えておらず、草むした墓地などどこにもありません。農地でさえ、パッチワークのように薄茶色の畑が目立ちます。
  私のような凡人は、見過ごしていれば何でもないことなのに、なぜこんなに気になるのかと言うと、化学物質過敏症の知り合いがいるのです。ある知り合いということにしておきますが、彼は除草剤の毒の臭いが分かるのです。近くに行くと苦しくなるらしく、泣きますし、近づきたがらないのです。防虫剤や殺虫剤はもっと過激で、かけられたゴキブリのように苦しがります。どこに混ぜ込まれているのか分からない抗菌剤でも感じ取って苦しがります。
  私たちには分からない毒素を感じ取るのですから、まるで超能力者のようです。でも、未来の見える超能力者が幸せとは限らないのと同じように、毒素を感じ取れる彼も、決して幸せではありません。毒を感じたら避ければいいと思うかもしれませんが、除草剤がまかれ、殺虫剤がまかれ、抗菌剤が揮発する夏には彼の居場所は無くなるのです。もちろん墓参りにも、公園にも、果物の実る田舎にも行けないのです。
  私たちの住む地域では放射能検知器を持つ家庭が増えていますが、この毒素検知器も作れば売れるのではないでしょうか。放射能だけではありません、毒素は確実に存在するのです。撒いているのですから。
  美しい果物の為に消毒は欠かせないし、労働の軽減の為に農薬はある程度仕方の無いことなのかもしれません。しかし、自分達の健康のためにも、できるだけ少なくする工夫と行動をしないといけません。今は機械も良くなりましたから、草を根こそぎにしなくっても、草刈りでもいいはずです。抗菌剤を使わない表示をしてくれれば、一生懸命日に当てます。ゴキブリやネズミはホイホイに任せます。蚊取り機は過敏症の彼によると蚊取り線香よりも水性蚊取りの方が毒性が弱そうです。今は蚊取り線香も昔のものと違うのかもしれません。寝るときはテント式の蚊帳を掛けると安心です。少し労働は多くなりますが、地球を健康にする為には原発反対のデモと同じくらい大事なことだと思います。
  そう言えば、昔々、こんな状態を見越した小説を書いた有名な女流作家がいたような気がします。まだ読んでいないので、今度図書館で探してみましょう。