2016年3月3日木曜日

なぜ野球を見るのか

 朝の連続テレビ小説、『あさが来た』のあささんが、『あきないをしていると、汚いことも見なければならない。それに比べたら、教育はひたすらに高い人間性を追求できる』というようなことを言っていたと思います。
 これよくわかります。商いだけでは有りません、人生だって、70近くまで生きて来ると、いくらかまととぶって見ないふりをしているつもりでも、いくら死んだふりをして知らないような顔をしていても、見るものは見、やらなければ生きて行けないようなことはやってしまっているのです。
 毎朝、あささんの見識にうなずきながら、この人は本当に頭のいい人だったんだと思わずにはいられません。
 で、表題と何の関係があるのかと思われるでしょうが、私は今まで、私が野球を見るのは現実逃避なんだとネガティブに考えていました。でも、彼女の生き方の理論でいけば、野球選手は最高のパフォーマンスを追求し、ジャッジはあくまでも公平に、勝負は終わってしまったら取り返しの利かない、崇高な芸術作品のようなものなのだと思えてきました。それを見ることで、自分の心が洗われるのです。
 大好きな黒田選手が、命をかけてということをいいますが、あささんもこの間言っていました。『いつも命がけでお商売に取り組んでいる』と。
 私には、そういう覚悟が無いから、いつも中途半端で、のんびりしたい、ゆっくりしたいと思いながら逃れるように生きているような気がします。
 命がけとは言いませんが、何かを、それがちいさいことでも、成し遂げるという気持ちでやると、人生、もっと違って来るかもしれません。
 70近くになって、それがわかるなんて、私はなんて愚か者なんだろうと思います。