ミニマリストと名乗る男性をテレビで紹介していました。最低限のものしか持たない生活をしていて、それをブログやYouTubeで発信して高収入を得ているのだそうです。
このものを捨てるという発想は終活でよく言われています。後に残る人の迷惑にならないようにと家事評論家の故吉沢久子さんも言っていました。
弟も写真をほとんど捨てたと言っていました。
でもです。昔、『思い出ぐさ』というものは人生を豊かにし、ものを書く際には鍵となると聞いた事があって、私はなかなか整理が出来ないのです。夫は私よりずっと執着心が強いのでなおさらです。何度も言いますが、我が家はがらくた倉庫の中で暮らしているようなものなのです。
いろんなものを創造している方々は、書籍を始め、衣装等いろんなものを残して亡くなりますよね。寄付されて学芸員が整理している話をよく聞きます。
まあ、私のは誰もいらないでしょうが。
で、表題の『綿入りねんねこ半纏』です。今まで『いらないのに』と思いながら何としても捨てられなかったのです。母が最初の子を産んだときに作ってくれたものです。昔は孫のものは自分たちで準備するのではなく、全部実家でするものだという暗黙の了解があったようです。ぼんやりの私はそんな事さえ知りませんでした。
二人目が生まれた時はもう一つ貰いました。それは捨てたのですが、一枚目は小さかったので室内の防寒着にも着られるかなと思ってずっととってあったのですが、もちろん孫達は使いません。今はダウンのコートが全盛で、洗う事も出来ない『綿入りねんねこ半纏』は誰も使わないのです。私が着てもいいのですが、アレルギーの人のいる我が家では防虫剤のにおいのするものはタブーです。
でも、これ、嫌な事しか思い出さない脳の持ち主の私にとっては亡き両親と幼稚な自分との愛情の思い出の絆だったのです。
でも、今回捨てました。一度にミニマリストにはなれませんが、終活は進めなければなりません。一つ一つ、いらないもの,使わないものから捨てて行こうと思います。