2014年4月9日水曜日


土地の話

 実家は農家でしたから、屋敷も広く、草取りが大変でした。でも、子供の頃の私はほとんど母を手伝う事も無く、怠け惚けていました。
 今、密集した住宅地の小さな土地の上に建てた古い家に住んでいますが、こんな小さな敷地の草取りだけでも大変な重労働で、草取りの季節が来るたびに、『なぜ母は私に手伝わせようとしなかったのだろうか』と、申し訳なさを通り越して恨めしささえ感じてきます。もう、あの頃の親不孝を取り返す事は出来ないのです。
 それと同時に父が亡くなって、弟がすべて相続してくれましたが、私では手に負えなかったろうという思いがありますから、心から感謝しています。世の中には遺産争いの話がよくありますが、とんでもありません。大きい農家と言うわけではないにしろ、あんなに広い屋敷や、草だらけになってしまった畑、人に作ってもらっている田んぼに、少ない脳みそを小突き廻すくらいなら、細々と猫の額ほどの敷地の草取りをしながら、好きな事に頭を廻している方がどんなに楽か知れません。そうでなかったら、二つのネットショップにこれだけの労力は注げません。
 昔、桜井さんという大家のご隠居さんがいました。その方は若い頃に政治も志した方でしたから、自分が大地主の家に生まれた事に、『これでいいのだろうか』という、若い人が当然のように持つ疑問を感じたようでした。やがて年を経て、お孫さん達に言ったそうです。『おじいちゃんはこれだけの土地を管理する力があったから、神様から預かっているのだよ』と。これが、桜井さんの辿り着いた結論だったのでしょう。政治の世界も退かれた後は、いつも野良着を来て、屋敷の草取りや山仕事に精出していました。
 そうなんです、それだけの土地を管理できる能力のない人間には、大きな労働を要求する土地は苦痛でしかないのです。土地に関してだけは、みんなが少しずつ持てるような、共産主義とまでは言いませんが、安さと平等さがあるといいなと思います。