2014年4月9日水曜日


母亡くなる

 そんなときでした、母が亡くなったのは。私にそんな時間が流れていたように、母の上にも同じだけの時間は流れていたのです。
 母の介護を一切見ていてくれていた弟から頻繁に電話が入るようになり、暇を見て、私も娘や夫と顔を出すようになりました。少しずつ痩せて行った母は、だんだん食べ物を食べなくなり、弟たちが注射器で水分を口にいれてやっていました。
 その朝は寒い朝でした。コンピューターが不具合を起こしてやっきになって直していた私は、夜中に寒くって身震いしていましたが、雪が降っていたのです。
 弟は雪の予報を聞いて、前日に母の車椅子用のスロープを解体したと言っていました。もう使わないだろうと思ったのです。
 それらがみんな前兆のように、後になると思えました。
 でも、もう仕方がないのです。お金がどんどん出て行って、止められない、どうしようもないという経験は何度かしましたが、時の流れも、体の衰弱も止められないのです。
 充分生きたろうと思いました。情けない娘や息子で心労ばかりかけて申し訳なかったのですが、もう、どうしようもない、取り返しも、お詫びのしようもないのです。
 それから、弟の先達で、田舎の葬式が執り行われ、老衰だった母はほんの少しのお骨になりました。見事な最後だと思いました。これなら、海に撒いても土に埋めてもそんなに長くこの世にとどまる事はないでしょう。
 この歳になると分かりますが、生きている事は、恥ずかしい、消え入りたいと思う事も随分多いのです。夢中で生きていると、人を傷つける事も、恨みを買う事も、恥をかく事も多いのです。母のように、気丈に生きて来た人は、きっと、後悔も多かったのではないかと思いました。それもみんな、父も含めて私たちを守るためだったと思いますが、早く忘れ去られて、消えてゆく事は却って安らぐ事ではないかと思いました。
 そんな事を言うと、体操万能で、負けず嫌いだった母におこられそうですが。