2014年3月13日木曜日


絵を描く事

 ネットショップの管理と準備をしながら、家事をしながら、健康管理をしながら、絵を書く事はなかなか時間の配分がうまく行かなくって、紙芝居の絵が、一応出来上がったのが、十一月中旬になってしまいました。
 その過程で気がついたのです。
 私の姑は個性の強い、芸術家肌の完璧主義の人で、実際身近に芸術家が多かったのですが、その上に、お嬢様でわがままに育った人でした。だから、出来る事ならすべてを自分のコントロールの下に置きたい性格で、息子たちの家庭の一挙手一投足に口出ししては、どこに行ってもトラブルを起こしていました。
 その姑が、舅の死後、本格的に絵を描くようになりました。舅の生前にも私たちに舅の面倒を頼んだり、舅を一人留守番させたりしては絵の教室に参加していましたから、元々好きだったのでしょう。
 舅が亡くなって一人になると、寂しくもあるようで、何をしてくれ、かにをしてくれと、近くに住む夫へのお呼出は頻繁でした。私は子育てに、仕事に、夫の手伝いにと忙しい毎日を送っていましたから、少しは子育てでも手伝って貰いたい等と甘い期待も抱いていたのです。
 とんでもありません。近くなので、娘たちが遊びに行くと、すぐに送って来てくれてしまいました。『絵を描いていて忙しいから』という理由で、お呼出以外の訪問は断られました。姑の晩年、近くに帰って来て面倒を見てくれた義兄に対しても同じです。
 姑の絵は九十五歳で亡くなるまで続けられ、かなり上手になっていました。
 そうなんです。絵を描いていると、それに没頭していられて、息子たちの家庭に接触しない分、関係は悪化しないのです。接触は展覧会に来てもらうときと、手伝ってほしい時だけですから。
 今になれば、私も分かりますが、歳を取れば、廻りの親しい人たちもどんどんこの世から消えてしまって、自分に愛情と注意を向けてくれる人たちがいなくなりますから、何か没頭する事を持っていなかったら、寂しさも一入でしょう。
 絵を描く事は、姑が考え出した自己管理法ではなかったかと、今は思います。誰でもそうだと思いますが、自分の気質に悩まない人はいないと思うのです。姑とて、『あんなに意地悪を言って』、と私たちが恨むほど,言いたい放題を言って、人を傷つけ、人に拒否されて、それでも抑える事の出来ない気質に悩まなかったはずはありません。私もその気があって、時々反省と後悔に悩まされますから。
 二度とかかわり合いになりたくないと思いますが、そんなわがままな私とよく似ている分、いろいろと考えさせてくれる存在でした。私もそう思われているのでしょうね。
 さて、これからナレーションを入れて、娘に登録の仕方を教わって、動画を完成させます。これが私にとっての自己管理法、自己発散法になるのかもしれません。『あなたは娘たちばかりでしあわせよ』と姑はよく言っていました。