2014年3月21日金曜日


妄想

 一人暮らしの知人が、博士号を授与されたと言うお知らせをくれました。彼はもう、いくつか博士号を持っているはずです。そんなにいくつも取れるものかしらと気になっていた私は、彼の事とは別に、自分のある秘密を思い出しました。
 それは、ついこの間、気がついたのです。それまでは、人には言いませんでしたが、『私はあそこと、あそこに土地を買って持っているはずだ、あれはどうしたんだろう』と、ずっと思っていたのです。
 一つ目は田舎で小川のながれる林の中の土地でした。もう一つは神社の境内の中の小さな貸家のような古い家で、すぐにそこを知人に買ってもらって、やはり川のほとりにモダンな建て売り住宅を買ったはずでした。
 田舎の緑の木漏れ陽があふれる林の中は、土地でしたから、そのままになっているとずっと思っていましたが、場所が特定できないのが不思議でした。
 モダンな建て売り住宅は、売った記憶もないのに、今そこに住んでいないのはどうしてだろうと不思議でした。四十年が経つ間に、少しずつではありましたが、あれは夢だったのだろうかと少しは思いました。それでも、最近になって、暇ができて、物事を冷静に考えられるようになるまでは、全否定するにはあまりにリアルでした。
 最初の林の中を買ったときは、結婚して、病気の舅と個性の強い姑と同居し、毎日泣いて暮らしていた頃でした。ある日、心配した夫が近くの建て売り住宅を見せてくれて、『ここを買って別居しようかと考えてもいたんだが、お父さんがいるからね』と言った頃だったと思います。
 その頃長女を妊娠していたのかもしれません。私が買ったと思っていたのはその建て売り住宅ではなくて、光あふれる希望の土地でした。その後、次女を妊娠し、家を飛び出した私は、夫が近くに建てた家に別居しましたが、まだ、私の土地は所有している気分でした。
 二つ目の建て売り住宅は、仕事を始めた私がストレスに耐えかねて、うつ状態になり、どこかに引っ越したいと思っていた頃だったと思います。
 どちらも二十代の終わりの頃でした。あれは妄想だったのでしょう。まるっきり現実と区別がつかなくって、ずっと現実だと思っていたのです。それにしては実体がないと不思議だったのです。ストレスがかかりすぎると、人間はどこかに希望の逃げ道を造ろうとするのでしょう。もしこれが起こらなかったら、うつか過労死かで死んでしまうのかもしれません。フィクションではよく見ていましたが、私にも起こったのですから、誰にでも起こりうる事なのでしょう。
 あとで知ったところによると、名誉博士号ならいくつでも貰えるらしいのですが、知人の、他人にはどうでもいいお知らせのおかげで、私は自分の妄想の事実を、はっきりと事実として認識することができました。本当にあの頃は、廻りを見る事もせずに、ただがむしゃらに夢中で生きていた気がします。廻りに多大な迷惑もかけたような思いもあります。今は少しでも廻りに気を配りながら生きて行けるのは、わずかでも入る年金のおかげだと思います。心にもゆとりができるのです。それに頼りながらも甘えないで、人として誰かのお役に立って、少しでも社会参加しながら、働いて行きたいと思います。