母の遺衣類
母の衣類を、体形の似ている私が全部貰う事になりました。今は形身分けなんかしないんだそうです。それで、実家に行って衣類の整理を弟夫婦と三人でしましたが、本当に一日仕事でした。
「何であんなに服を買ったんだろう」と弟は言いましたが、半分は捨てる事が出来なくって、取っておいた古い服で、虫さんがなめたあとが、何カ所も見えていました。母は戦争を生き抜いた世代だったのです。
そういう服や下着類を処分に回しても、私が貰う服は大きな袋に四つほどもありました。「入れるところがあるのか」とまた弟が言いました。「私の服を整理して捨てるよ」と、私。
私も捨てられないで取ってある古い服が箱に詰まったままになっていたのです。それらを整理して、今は母の服も何とかわが家に収まっています。
休憩でお茶を飲みながら、「何であんなに服を買ったんだろう」と弟がまた、言いました。『そう言えば』と、昔母に聞いた母の思い出話を教えました。
母の姉である、まだ、しっかりしている伯母は、昔からきれいな人でした。農家の主婦でありながら、肌も白く、太りもせず痩せもせず、いつもきれいでした。母に言わせると子どもの時からそうだったのだそうです。母の実家は大きな農家で、戦争前の、母たちが子どもの頃は、それなりに裕福だったそうです。六人もいた子どもたちにも、それぞれに新しい着物を買ってあげる事が出来たようで、そういう時、伯母はひときわ輝いて見えたのでしょう。負けず嫌いの母は自分の着物を着てみて、それがどうしても納得できなくって、姉と同じ着物がいいとだだをこねたのだそうです。そうして買ってもらっても、同じにはいかなかったと言っていました。その時でも、母の着物は伯母の二倍になるわけです。
また、母は洋裁も和裁も出来ましたから、服を作ったり、着たりするのは楽しみでもあったのでしょう。おしゃれだったのです。
ある雨の日、病院の待合室で、古いリュックサックに布の袋を持った、私と同じ六十代くらいの女性を見かけました。もしかしてと思いますよね。病院の待合室は、冷暖房完備です。その時、母が言っていた言葉を思い出しました。「歳を取って、みすぼらしい服を着ていたら、本当に惨めに見えてしまうんだよ。」 だから、せっせせっせと、歳を取ってからは編み物もして、私にも一生分のセーターを編んでくれました。一冬で着るセーターは一、二枚ですし、それは翌年も着られるのです。死ぬまでに全部着られるだろうかと思うくらいあります。
『ああ、ああいうことか』と思ってその女性の方を見ると、もうそこには女性の姿はありませんでした。
母の遺衣類を貰って、私は一生惨めな思いをしなくてすむのかもしれません。大事に管理して使って行かないといけないと思いました。