2014年11月29日土曜日


霞ヶ浦と放射能

 2011年の3・11地震の後、福島第一原発の爆発で3月15日頃に放射能があちこちに拡散して大騒ぎになりましたが、遥かに離れたわが霞ヶ浦の周辺ではまさかと思っていたのですが、それはどこも同じだったようです。
 あの当時でも、霞ヶ浦周辺で特に,自衛隊の施設がある阿見町の周辺が汚染されたと,飯館村のような特別な報道は無かったのですが、周りの人々が話していました。
 三年が過ぎて,データもそろったらしく、この間調べてみたら汚染地図が出来上がっていました。
 大まかに言うと放射能は三方に走ったようです。一番被害の大きかったのは、飯館村から多分谷筋を通って、山にぶつかりながら、那須、日光,群馬に抜けたコース。あのとき、テレビを見ながら、風が飯館村の方にふいているからと危惧していた私の勘が当たってしまったと思ったものです。
 もう一つは海上に走ったコースで、やはり風のせいか、北と南に分かれたのです。北コースは宮城をかすめて岩手辺りに、そうして南コースが、太平洋沿岸を下がってきて低地の霞ヶ浦に入り、阿見町にぶつかったようです。そこから更に東京の方まで、点々と跡がついていました。
 今朝とおくアメリカ西海岸でも,福島の放射能が発見されたという報道がありましたから、海上には更に何コースかあったのかもしれません。いやいや、もしかしたら、南と北に分かれたというのはモニタリングが陸上でしかできなかったから、出てきた現象なのかも知れません。もしかしたら、海上には伸び広がったのかもしれません。
 それで、わが霞ヶ浦周辺に目を戻して見ますと、阿見町周辺が真っ赤に、霞ヶ浦の周囲が黄色に、私達の住む高台とつくば市の一部が黄緑色に、筑波山の山並みで遮られた西側が、緑色に塗り分けられていました。
 これを,私の趣味の不動産情報に照らし合わせてみますと、なるほどと思ってしまいます。阿見町周辺には売り家が多いのです。それに比べて、筑波山の西側にはほとんどありません。もう三年すぎているのにです。みんな、この放射能の汚染情報を見ながら買っているのです。
 割り方少ないと見なされたわが家のある高台には、この頃新築のブームがやってきて、あちこちで建て売り住宅が売りに出されています。でも、前にも書きましたが、わが家の雨落ち付近の放射能値が高くって、私がシャベルで削って捨てた事を思えば、低いと言っても高いところもあるのです。
 もう一つ、PM2・5の話をすれば、霞ヶ浦周辺は太平洋に接している事もあってか、最後の頃に覆われます。つまり、PM2・5は,日本海側から埼玉,つくばを通って、そのまま消えて行く事もあり、霞ヶ浦を薄い色で覆う事も有りなのです。
 この両方から同時に逃れる事なんかできないのです。だからやっぱり、原発は縮小していただきたいですね。ものを大事に使って、生産も縮小して欲しいです。手に余るほどのお金を儲けなくってもいいじゃありませんか。人に優しくできて、楽しく一生を終われれば。仏教思想ではありませんが、身の丈に合わせて喜捨ができるという事は幸せな事のようにこの頃思えてきました。