2017年9月29日金曜日

体に合わせて

 金持ちのお医者の奥さんが、「新しい服を買っても、もう一度洋裁店に行って体に合わせてもらわなきゃ着れないのよね」と言っていたのを、この頃なるほどと思いました。
 彼女が言っていたのはデザイナーブランドの高級服のことでしたが、私が言っているのは、我が家の衣料品のことです。我が家のようにみんなが規格外れの肥満で短身だとどこかを直さなければどこかを引きずって着ていることになります。夫の場合は胴回りに合わせて服を買うと、必ず袖を短くしなければなりませんし、袖丈に合わせて買うと脇にマチを入れなければ着られません。下の娘は緩いのが好きで、大きいのを買うのですが、袖がきついの、前あきじゃないと苦しいのと文句を言ってすべてを直します。
 私の場合は母の遺品の服のことです。
 母と私は体重も身長もほとんど同じで、違うところは運動の得意だった母のお尻が張っていて、洋ナシ型だったことと、私は胸が大きくて、寸胴型だったことです。
 だから、洋裁の得意な母が作った服も、買った服もほとんど着られたのですが、やっぱり、違うんですね。母の服はワンピースが多かったのです。だから、胸のあたりは合うのですが、お尻のあたりがだぶだぶ。幸いにも、今の時代、ワンピースはあまり着ません。それで、ズボンに合うように丈を短くしました。
 母の服はたいていがしわにならない素材です。それって、あまり普段着にはなりません。忙しくてアイロンがけなどほとんどしなかった母には、それが必要不可欠だったのでしょう。歳をとってきて、ズボンをはくようになると、Tシャツの上に着る化繊の上着を山のように買いました。Tシャツは古くなって処分してしまうのですが、「化繊の上着はいつまでももつ」と言って、かえって嘆いていました。目移りして新しいものを買いたかったのでしょう。これは直さなくても着られて、たくさんありますが、普段にはほとんどきません。母も、病院に行くときにいるんだと言っていましたから、病院に行かない私にはほとんど必要がなくって、よほどの時しか着ません。
 コート類もいくつかあって、ダウンの大きなものは普段に愛用させてもらっています。あとは毛のコートがいくつかあるのですが、今は洗濯の面倒な毛のコートは、自分のものも含めてほとんど着ません。デザインも昔のもので、ボタンをつけ足したり、長いコートは上下に切って、厚手のチョッキとスカートにしたりしました。
 スカート類は、昔と違って、ほとんど着なくなりましたので、だいぶチョッキに直しました。母の生前からいらないスカートをチョッキに作りなおして母にもあげました。
 なかなか直せないのが、母が晩年編んでいたセーターです。私は面倒な編み物をしないので、ほどいて直す気にはなれないのです。昔は編み直しと言って、体が大きくなるたびに何度もほどいて、編みなおしてもらっていましたが、今はそんなことしないのですよね。それでも、ちょっと大きくなってしまったものを縫いつめたり、袖を外してチョッキにしたり、なんとか、私の代で、消費しようと頭を働かせています。下の娘は洗濯の面倒なものは着ないと宣言していますし、上の娘は自分の楽しみで手編みをしていますので、これもたくさん抱えているのです。
 捨ててしまえば簡単なことですが、貧乏を経験した、かつ、今も貧乏な人間は捨てられないのです。おかげで、着るものはほとんど買わなくて済みます。買うのは靴と靴下くらいですね。昨日も娘が呼ぶので行ってみると、衣装ケースの中にしまっておいたのを忘れていた母のセーターが出てきました。ちょっとおしゃれな既製品のセーターで、自分の編んだものばかり着ていた母が、買ったものはあまり着ないで大事にとっておいたもののようでした。早速洗って防虫剤のにおいを落とし、今年の冬に備えました。
 これだけたくさんあるのだから、さすがにくたびれた奴は捨てようと思いました。
 そうそう、かばんも捨てられないのに、ついつい新しい、使いやすそうなものを買ってしまうのですよね。そこで思い切って使いやすいように直して使うことにしました。私の場合は、肩から斜にかけられれば両手が使えて、それだけでいいのです。まず、夫のかばんについていたベルトを二、三本集めまして、それから、ハトメを買ってきて、かばんの両端に丈夫な金具のついた穴をあけて、そこにベルトの金具をひっかけました。いま、一つ目を使いつぶして、二つ目です。これで、なんとかかばんも消費できそうです。