2017年2月28日火曜日

大竹しのぶさんのファミリーヒストリー

 こういう企画は日本だけじゃなくって、英国にもあるらしいと、ルイス警部のケビン・ウエイトリーのウキペディアで思いましたが、その生き方を見せてくれている俳優さんだと、ああ、こういうご先祖がいて、こういう生き方をしてきたから、今のこの人につながっているんだなあと、イタリアの小さな村の人たちと同じように勉強になります。
 最初は見るともなしに見ていたのですが、すぐに引き込まれました。お母さんのお母さんの八重さん、しのぶさんは会ったことがないと言っていましたが、内村鑑三の門下生で、そこで知り合った男性と二人でアメリカに渡ったのだそうです。その時代、良いところのお嬢さんだったからそんな生き方ができたのでしょうが、考えようによってはお嬢さんのままでいてもよかったのです。
 アメリカで子供を産み、夫に死なれ、日本に帰ってきて、夫の家に子供を残し、再婚しますが、うまくいかず、夫のもとに子供を残して別れ、妻に先立たれた、内村門下の旧知の人と再再婚します。この人がしのぶさんのおじいさんです。
 最初、安定していた夫の収入も、彼がキリスト教の伝道師のような生活を始めると不安定になり、それでも二人は仲良く添い遂げたようです。同じ宗教者としての思いがあったのでしょうか。生き別れになった子供たちとは会わず、名乗らずじまいだったようですが、今を生きるのに必死な不安定な生活では仕方がなかったのでしょう。わかる気がします。
 しのぶさんのお母さんはえすてるさんというそうですが、聖書の中からとられた名前のようです。えすてるさんとしのぶさんのお父さんはその私塾に通っていて知り合ったようです。この時、お父さんには別れてきた妻と二人の息子がいたそうです。二人の息子に申し訳ないと思いながら、運命の出会いに従って結婚し、先生になって子供たちを育てていたのに、結核になってまた不安定な生活になってしまう。えすてるさんは一家を支えるためになんでもしたと言っていました。
 この情熱はどこから来ているのでしょうと思いますが、私は何よりも、浮き沈みの生活を生き抜いてきたのは私だけではなかったということにほっとしました。中流の安定した生活なんて長くは続かないのです。一生のうちにはみんなどこかで山を越えたり、谷を越えたりしていたのです。
 やがてゆっくりできる時が来て、しのぶさんの活躍を応援しながら、会えなかった二人の息子に詫びながら、お父さんは亡くなるのですが、私のように単純な家族関係しか持たない者には、この情熱と運命はやっぱり理解の及ばないもののように感じました。