色々、老化を感じるせいか、亡くなった人のことが気になり出しました。
我が家の前の家は、今流行りの引き取り手のない空家です。もう10年にもなりますが、崩れることもなく、形を保っています。そこにハクビシンが住んでいるらしいという話はしましたが、誰もいないその家は、寒くて寂しいらしく、夜な夜な餌を探しながら、ついでに暖かい屋根裏も物色しているようで、我が家にも二、三度入り込みました。今や追い出し用の棒は二、三本常備です。
そこには、私たちが越してきた頃からおばさんが一人で住んでいました。しっかりしたおばさんで、至らない私を悪げなく、また、悪げを感じさせずに、付き合ってくれていました。
実の娘、息子がいるのに、そんなに行き来せず、自分で働いて、自活していました。娘さんは結婚して遠くにいるようでしたが、息子さんは県内にいて、鳶職をしていたようです。そして、不肖の息子だったのでしょう、結婚して子供もいたのに、若い女性と駆け落ちし、さらには交通事故を起こして、彼女は死に、自分は大怪我をして働けなくなり、おばさんを頼って、前の家に住み着きました。
おばさんから、愚痴や非難の言葉は聞いたことがありません。勿論、私などには言わないでしょうが。ただひたすら、創価学会のお題目を唱えて太鼓を鳴らす音がよく聞こえてきました。あれが、自分を整える行動だったのでしょう。
やがて、おばさんも歳をとり、自転車に体を預けながら買い物に行く姿が目立つようになりました。息子さんは時々びっこを引きながら出てきて、花を摘んでいる姿が見かけられました。亡くなった恋人にあげるのかなと思いました。
おばさんはここで亡くなることはなく、多分、娘さんに引き取られたのでしょう、いつの間にか、息子さんが一人で住んでいました。そして、息子さんはここで倒れて、救急車で運ばれて亡くなったそうです。今、小さくて古い家だけが残っているのです。
昔、貸家だったこの古い家をおばさんは貯金をはたいて買ったようです。買ったほうがお得だったか、借りていたら、解体も大家さんの責任だったでしょうと思いますが、息子さんのために暮らせる家があったことは良かったかなと思います。きっとおばさんもそう思っていたことでしょう。
やがて、私たちも、こうした思い出の一片になってしまうのでしょう。