2019年5月22日水曜日

吉沢久子さんが亡くなったそうです。

 『歳をとって、後に残る人のために身の回りの始末をしている』と終活を教えてくれたのは吉沢さんの『老い支度』でした。また、世間体より、相手の心を重んじるというのを教えてくれたのも吉沢さんの生き方の本でした。
 つまり、吉沢さんの旦那さんの古谷綱武さんのお母さんという人は外交官の奥さんで、長く外国に住んでいて、子供さん達もいましたが、ある日、画家だったか、芸術家と恋をして、全てを捨てて日本に帰って来てしまったのだそうです。その後、日本に帰って来た子供達はお父さんの仕送りを受けながら、長男の綱武さんが面倒を見る形で育ったようでした。
 そんな綱武さんの秘書になり、奥さんになったのが吉沢久子さんでした。後の、エッセイストで家事評論家、生活評論家です。
 やがて、みんな歳をとり、画家の旦那さんが亡くなるとき、『久子さんに老後を見てもらいなさい』とお母さんに言い残したのだそうです。
 お子さんも無く、身軽だったせいかもしれないと思いましたが、もちろんそれだけではなかったと思います。だって、綱武さんは、お母さんのせいでずいぶん苦労もしたでしょうから、それでも『久子さんに』というのには余程の信頼があったのだと思います。
 やがて、お母さんがやって来たとき、お母さんは庭の物置を見て、『私はここに住みたい』と言ったそうです。『プレハブの物置なんかに姑を住まわせて』と言われるのは承知の上で、吉沢さんは物置を改装してお母さんを住まわせたそうです。
 『自分の空間が欲しい』という気持ちがわかったと書いてあったと思います。他の人にはいろいろ言われたでしょうが、自分も歳をとってみるとわかります。誰にも煩わされない時間が心を安定させるのです。吉沢さんは自分が防波堤になって、お母さんの心の安定を守ったのでしょう。お母さんが駆け落ちしたという画家の旦那さんもやはり、心ある人だったのでしょう。
 吉澤さんも百歳を超えて亡くなったと思います。