2013年1月18日金曜日

多喜二ブーム 

 不況になって一時期、小林多喜二の『蟹工船』がまた読まれ出したと騒がれていましたが、今でもそうでしょうか。
  実は、昔々に買って、多分古本屋さんで買って、読まずに飾りっぱなしだった本を、ショップにアップしたのを機に読もうと思って、枕元に置いておいたのを、この冬休みに終に読み切ったのです。
  『おりん口伝』と『続おりん口伝』です。前者は第八回田村とし子賞、また、百合子・多喜二賞をとったとも書かれていました。読み始めると結構重い感じで、癒し系に慣れていた私にはなかなか前に進めませんでしたが、中頃まで読み進めると、先が気になるようになりました。読み終わった今は、久しぶりに、まだ本の世界にいるような感じで秋田弁を口走りながら暮らしています。
  話し言葉が秋田弁なのです。きっと東京育ちの人や若い人には古典のようで辞書がいるでしょうね。私は関東の北の端、茨城も、栃木寄りの田舎で育って、まわりがみんな、あれに近い言葉をしゃべっていたので、分かったのです。しかも全編それで貫かれていて見事です。
  昔、藤沢周平さんの『山伏記』というのを読んだことがありますが、最初は山形弁で書かれていたのに、最後の頃は編集者と読者の要望に負けたかのように標準語になっていて興ざめした覚えがあります。
  著者は、松田解子さんという方で、十年くらい前に亡くなったようです。おりんさんは離れ瞽女ではなく、秋田の三菱荒川鉱山で働いていた夫に嫁ぎ、夫亡き後、仲間の応援を得ながら、必死に働き、二人の子供を育てている鉱山働きのおりんさんでした。私はもしかしたら、『離れ瞽女おりん』の原作本と間違えてこの本を買ったのかもしれません。昔のことで覚えていませんが。
  松田さんは荒川鉱山出身と書いてありまして、これはお母さんがモデルであると言われているようです。
  話は明治時代です。その時代の、劣悪な鉱山の労働環境、足尾銅山で有名な環境被害がここにもあります。足尾だけかと思っていましたよね。でも、あちこちにあったのでしょうね。わが家の近くの日立にも、有名なお化け煙突がありました。私達はそれが煙害をもたらすから、お化けと呼ばれるほど高く造られたなんて夢にも知りませんでした。観光名所だと思っていましたから。
  地底の労働は過酷で、鉱夫は最後はみんなヨロケと呼ばれる、いわゆる『塵肺』で、若くして病気になったり、亡くなったりします。それも正規雇用ではないので、景気の動向によっては人員整理の対象になって辞めさせられ、長屋も出なければならなくなります。そして戦争にでもなれば、また多くの人員募集がかかるのです。それでも人が集まったのは、多分、それでも他より仕事があったのでしょう。
  これはおりんさんの物語ですが、それだけではない、その当時の鉱山の生活と社会の動きが実感として判るように描写されています。
  私の学生時代は70年安保の時代でしたが、私がこれを買った当時、これを読んでいたら、どう変わっていたでしょうか。やっぱり、のほほんと育った私は、連帯なんか、理解できなかったでしょうね。
  今になって、これだけの歳を重ねて、自分の不幸も人の不幸も、社会の様も少しは見聞きし、寄る辺ない恐ろしさも少しは理解できるようになって初めて、『同情』という、人と同じ気持ちになれたような気がするのです。おりんさんの気持ちもがんばりも『自分もした』という思いがあるからわかるような気がするのです。
  今の時代と同じです。ここを逃げ出しても、他に行っても仕事は無い。試練は、辛いけど、自分という井戸を深くして、きれいな水が湧くようにしてくれるような気がします。  古本ですが、出会えてうれしい本でしたので、ちょっとだけ値下げしました。誰かにも読んでもらいたいような気がしたのです。