2021年7月22日木曜日

 草取りの真実

 梅雨が明けて、またいつものように突然暑くなりました。雨が上がって暑くなると、当然のように草が大きく育ちます。

 我が家はほとんど敷地いっぱい建ててあるので、草の生える余地はそんなにはないのですが、それでも、昔の建物で、余地にコンクリートや砂利など敷いてありません。それに、シソやミョウガなどの生えている野草を収穫する心づもりもあって、土のままにしてあるので、どんなに狭くても草取りは大変です。今日はここ、明後日は裏、と少しずつ、時間を見つけては抜いています。

 前にも書いたかもしれませんが、私の実家は農家で、家の敷地は農作業のためもあって広くとっていました。それに敷地の中に畑もあり、竹林もあり、杉林もあり、洗い物のための池もありで、除草剤が普及するまで、母はそれこそ一年中草取りをしていました。それを見ていた私は、家は狭くていいと思ってしまいました。おかげでずっと狭い家に住んでいますが。

 母は怠け者の私に手伝えとは言いませんでした。草取りのノウハウを知らない私は鎌の使い方を知りません。だから、今も手で、大きくなった草を抜いたり、木ばさみでサクサクと上の方を撥ねるだけです。幸い、狭い我が家の敷地ではそれで何とか間に合います。

 それでも、ある日思いました。『こうやって、毎年草と格闘して、一生を終るのだな』と。これは家の掃除にも言えます。掃除機なる便利なものができていますが、埃はどんどんたまります。拭いたと思っても二、三日で、白い埃が気になります。掃除機をかけるほどではないと思っていると、一週間で綿埃があちこちに飛び出します。ワイパーで集めたり、ころころで吸い取ったり、雑巾で拭ったり。こうやって、一生、埃と戦って行くのが人生なのだと思えてきました。

 結局、謙虚に自然と共生して身の回りを整えて行かなければならないということですよね、生きるということは。人に任せることもできない、自分でやるしかない。これが生きて生活をするということの真実だと思えてきました。

 普通はもっと早くに、仕事を持ったり、したりする中で気づくべきことだったのでしょうが、何事にも遅い私はこの年になって気づきました。というか、若くて勢いのある時は、気にも留めずにしていたことが、足が痛くなって、体の動きも悪くなり、自然との闘いが毎日に大きなウエートを占めて来て気付いたのでしょう。でも、気付いたということは大事なことです。