2023年7月16日日曜日

 専制国家

 私たち、団塊の世代の学生時代はデモをする友人たちが目立っていて、私は我ながら『なぜ私はいかないのだろう』と思っていました。その頃もベトナム戦争があって、ベ平連のデモなんかもありました。結構悲惨と言われていましたが、それでも行く気にはならずに目を背けていた感じです。

 でも、今ウクライナの戦争をネットで追いかけるように見ていると、日本があのような侵攻をされたら、『私も戦う』と本気で考えています。何が違うのでしょう。

 一つには年齢のせいだと思います。老人はいつどこで死んでも同じですから。

 二つ目は、ウクライナの兵隊さんたちも言っていましたが、未来を生きる子供達の為です。あんな人権をないがしろにする国家に未来を蹂躙されたくはないと思います。

 私が学生だった頃、デモに参加する人たちは、マルクスレーニン主義を信奉している人たちがほとんどでした。その共産主義の国家はソビエト連邦と中華人民共和国でした。そのいずれも今は、富を分配するなんてことをしていません。一部の人たちが大金持ちになり、資本主義国家と何も変わらないし、その上、専制国家です。ロシアの場合は選挙はしても、意のままに不正をしますから、民主主義国家ではありません。

 資本主義の弊害も言われていますが、それでも、民意を尊重して、人権を大事にしてくれる国家のほうが、専制的にあれをしろ、これをしろと言われるより、いいに決まっています。家庭内を考えても、威張っているお母さんは嫌われます。嫌われているのに意のままにしようとするのです。

 今、私は自学によってこういう内情を知り得ました。学生時代の私は何も知らなかったし、知る努力もせずに、与えられた学業に追いまくられていました。自分が考えないおバカだったのか、追いまくる教育システムが悪かったのか、今となってはわかりませんが、子供たちの教育システムにも、台湾のオードリー・タンさんのお母さんが開いたような自学を重んじる教育もあるんだよと教えてくれるような多様なシステムが欲しいです。私のようにとろい子供には特にそうしてくれたら、ありがたかったかなあと思います。そしたら、興味の全く感じられない物理のために、時間を取り、不正までして単位を取らなくってもよかったはずです。

 それは一時不評を買った学業を遅らせるゆとり教育とは違うものと思います。自分の興味を自由に追いかけさせる教育です。

 私の子供時代の教育システムを考えたとき、戦後日本がまだ貧しかったあの時代は、日本も専制的だったのだろうと思います。今は違うかもしれません。