地頭(ぢあたま)の話
今年の甲子園で、決勝戦を戦った慶応の優勝を、ほぼ全国の人が関心を持って視ていたのではないかと思います。それは甲子園のヒーローで、プロでも活躍して、そして悪名高き薬物犯罪で、逮捕歴まである、よくも悪しくも有名な清原和博氏の次男がスタメンではないにしろベンチ入りしていたからです。親子二代の優勝はあるか、親子の絆は取り戻せたのかなどなど、人々の関心を総ざらいしていたからです。
一度バラバラに壊れた家族が、こころを一つにして支えあい、優勝までこぎつけた。むしろ勝児君は薬物依存の後遺症に苦しむお父さんを応援するために優勝まで戦ってきたように皆が感じたんじゃないでしょうか。単位が取れなくて留年までして。
そして、この再生劇の裏で、一家を支えてきた亜希さんは本当に頭のいいひとだと思いました。こういう人を地頭のいい人と言うんだろうなと思いました。
このところ、『地頭』という言葉を時々聞くようになりました。今まではなんとなく、『本当に頭のいい人』という風に思っていました。『学歴とは関係なく、世の中をよく知って生きている人』と言う感じでした。もちろん学歴の立派な人で地頭のいい人もいます。そういう人は本当に自分が何をしたいかを知っていて、それに合う方向をきちんと選んで自分の道を築いている人です。地頭の悪い人は学歴主義の世の中に洗脳されて、良い大学に入っても何をしたらいいかわからない人だと思います。つまり、地頭のいい人と言うのは自分で考えて行動する人のことだと思います。そういう点で、亜希さんは立派ですね。人の本質を見抜いているのです。
見聞きしている限り、清原和博氏は決して悪い人ではありませんでした。有名な人ですから、みんなが知っています。巨人に入りたかったのに、西武に行くことになってしまって、日本一をかけた西武―巨人戦で、もうすぐ優勝が見えてきたという時に、守っていたベース上で涙を流した話は有名です。純粋で喜怒哀楽が激しい、わかりやすい人のようです。
薬物依存が報じられて、入院している間に、子供たちを連れて自宅を出て離婚となったようですが、その時弁護士さんと相談して、自宅の豪華マンションに養育費のための抵当権を設定して、それが売れたときに、子供たちの学費と生活費が確保されたそうです。
やがて、清原逮捕となった時には、子供たちに、もうこれ以上、下には行かないのだから、後は上を向いて生きて行こうと話したそうです。
子供たちを育て、デカ弁を作って応援し、自分の仕事もし、確かに嘆いている暇はなかったでしょう。養育費が清原がバット一本で稼いだお金の一部だったせいもあると思いますが、父親の悪口は聞かせずに、双方の弁護士さんのすすめで、五年後に息子たちを父親に会わせたそうです。長男が高校生の頃でしょうか。「ごめんな」と嗚咽する父親の背中を長男がさすりながら、「大丈夫だよ」といったと清原氏が回想しています。
そうして家族の再生となるわけです。ここまで聞いたら、誰だって勝児君を応援してしまいますよね。
次男の勝児君は「お母さんより立派な人を見たことがない」と言っているそうです。清原氏は「自分が優勝した時よりずっとうれしい」といったと書かれています。清原氏も甘えちゃいられないと思ったでしょうね。自分で考えて言ったり行動したりするこの地頭のいい家族の中で、しっかりした父親にならなければと思ったと思います。
でも、考えてみると、この『地頭のいい人間』って誰にでもなれると思えてくるのです。人の言葉や世間の常識や評価に惑わされずに、自分で考え、一番いいと思える道を手探りで進んでいくことだとしたら、心がけ次第では、世間の常識に洗脳されて、『頭まっくろ』の私でも少しずつ変わっていけるのではないでしょうか。がんばらなくっちゃです。