敬老の日
中秋の名月、昼間のように明るかったスーパームーンも終わって、更に久しぶりに来た台風13号も過ぎ去って、まだまだ暑い9月の半ば、回覧板が回ってきました。 いつもと同じ、何ということもないことが書いてあると思っていたのに読んでみて、意気消沈してしまいました。
今度の土曜日、子供会と父母会が敬老の意を表して、老人宅にお菓子を届けると書いてあったのです。
敬老の日なんて、全く忘れていましたし、『自分と何の関係があるの』という感じでいたのです。見かけは確かに老人らしく、買い物に行っても、観光地に行っても優しくしてもらって、うれしいときもありますが、そんな時でも、『え、老人だったんだ』と、むしろ驚いて、見えない自分の外見を想像してしまいます。
『自学』だ、『自己実現だ』と夢中になっていると、歳を忘れています。自分ではまだ20代の気分で邁進しているのです。それは、あちこち痛くて泣きごとも言いますが、身体的なことと、こころの中は別物です。
有名な松田妙子さんという女性が、「自分の年齢を20歳若く考えなさい」と言っていた講演を聞いたことがありました。「20歳若ければ、その経験と体力でどんなことができるか。いっぱいやり様がある」ということでした。今の私ならば、もうすぐ75歳ですから55歳です。それでも嫌ですね。松田さんは社会的に活躍した方でしたから、『やり様』に重点をおいていたのでしょう。でも、私は『自学』に重点を置いているので、『学ぶ年代』の気分なのです。
そういう老人の心に、敬老なんて、こころを萎えさせる言葉は驚きであり、悲しみです。若い人たちにはわからないでしょうね。子供さんたちのしつけのためと思っているのでしょうが、それは車いすや杖にすがった人たちに対して教えていくべきです。
今は長生きの時代ですから、敬老の年代をもっと上げてもいいのではないでしょうか。100歳以上とか。