2023年1月7日土曜日

 民間人

 先日ガソリンを入れたとき、ものぐさをして、タオルを借りて窓を拭くことをしませんでした。ずっと晴れていたので、きれいに見えたのです。翌朝霜が降りてフロントガラスにこびりつきました。取ろうとして暖房をかけ、ゆるんだところをワイパーで拭いたのですが、筋が何本も残ってしまいました。晴れていたという事は埃がいっぱいついていたという事だと気付きました。昨日、まじめにいつも通り、タオルを借りて拭いていれば、こんな汚いフロントガラスにはならなかっただろうと痛く後悔しました。

 この一つ一つを手抜きしないで真面目にやっていくということが、生きるということ、生活するということなんだと、この頃切に思います。

 それでも人間は、なまけ心の他にも、興味に流されるとか、夢を見るとか、生活とはかけ離れた厄介な代物に時々突き動かされてしまいます。

 私も、このところ、毎日ウクライナの戦況をネットで調べています。最初は、どうなっただろうかと、気が気ではなくって、こころを傷めたり、憤たりしていましたが、この頃は「まるでゲームのような」とどなたかが指摘していましたが、そんな感覚で見ている自分に気が付きました。

 あんなに痛めつけられても、頑張っているウクライナに、平和が訪れてくれるようにとは心から願っているのですが、まだ先は長いだろうなといっぱしの識者のように、ため息をついています。

 でも、一人の民間人としては、プーチンさんの心が読めません。普通の人なら、『大変なことをしてしまった』と恐れおののくと思うのですが、『国手』となった人はそうは思わないのでしょうか。『自分がやらねば』と思っているのでしょうか。それとも、『罪』は誰かのところにうまいこと投げて、自分は『責任はない』と心軽くいられるのでしょうか。頭のいい方が、自分の語る論理を本当に信じているとも思えませんし、どこまで自分にも人にも嘘をつき通すのでしょう。

 生活をしている民間人にはわからないところです。彼はゲームをしているのでしょう。