2024年5月20日月曜日

 東北の人

 西村京太郎さんが、1981年に第34回日本推理作家協会賞(長編部門)を受賞したという『終着駅殺人事件』をTverでみました。十津川警部シリーズです。それで西村さん自身が東北の人なのかなと思って調べてみましたら、十津川警部と同じで東京の人でした。

 そのドラマでは、亀井刑事が青森の出身という設定になっていて、東北の人の特徴を代弁していました。情に厚くって、約束は守る、助け合う、ちょっと人恋しいなどなど。

 私も最近、この『東北の人』の話を聞いたことを思い出したのです。

 場所は、工事期間中に通っていたトレーニングルームでした。前にも書きましたが、ごみ焼却炉の熱を利用したプールとお風呂があって、以前はデイケアセンターだったところがトレーニングルームに変更されたという公立の福祉施設なので、お年寄りがたくさん通ってきていて、バスの便もあり、皆さん、お風呂やプールを利用したり、トレーニングルームを利用したり、休憩室でテレビを見たり、囲碁をしたり、講座に参加したり、時間のある人はお弁当を食べたり、昼寝をしたり、ゴールデンウイーク中はお子さん連れも何組かいましたが普段はそんなに込み合ってもいません。

 そこでよくお弁当を食べていた同年代くらいのおばあさん二人と話をしたら、二人とも東北の人だったのです。

 一人は山形の人で、山形で工場労働者として働いていたが、老年になり、息子がこちらで働いているのでこちらに来たと言っていました。でも、悩みがあって、「一日のうちの長い時間をここで過ごしているのだが、なかなか皆さんと打ち解けられない、言葉が違うからかな」と言っていました。確かにもごもごと話す感じでした。「山形はいいよ。雪は多いけど、雪下ろしなんかみんなで手伝って。」

 『ああ』と思って言いました。「茨城は東京に近いし、昔から話し方が喧嘩しているようだと言われるからね。」

 もう一人の人も嘆きました。「初めて来たとき、隣のうちの庭が草だらけだったのよ。それで入って草を取ってあげたら、そこのご主人が『人の家の屋敷に入って余計なことをしないでくれ』って言って怒鳴り込んできたのよ。」これもありそうなことだと思いました。それでいいました。「茨城は豊かなのよ。だからみんな、人に助けてもらわなくっても生きていける。威張っているのよ。人に頭なんか下げない。」その人は青森の人で、やはり次男がこちらで働いているのでこちらに来たけれど、長男が受け入れてくれるなら青森に帰りたそうに言っていました。

 みんな生まれ故郷を離れて生きていくのはさみしいのでしょうね。

2024年5月19日日曜日

 歴史に習う愚

 『歴史に習う』という言葉は良いことだとずっと思ってきました。これも洗脳でしょうか。

 でも、この頃気が付いたのです。習近平氏は毛沢東になろうとしているし、プーチン氏はエカテリーナの領土を取り戻し、スターリンになろうとしている。国の指導者として国民のための新しい道を模索しようとしていないのです。しかも教育で、自身の正当性、国の支配の歴史を教え、国民の頭を洗脳し、古き良き時代に引きずっていこうとしているのです。

 工事期間中も、ウクライナの戦争は気になって、毎日ユーチューブで戦況を追っていました。ちょうど弾薬が枯渇し、苦しい時期で、目を離すことができなかったし、何かに集中していると、現実のストレスが紛れました。

 プーチン氏のプロパガンダや反対派の抹殺行為を見ていると、まるで大戦時の日本のようだと時々思うのです。あの時、戦争に反対して拷問を受けた人々のことを歴史の教科書で学びましたが、あまり自分のこととして考えていませんでした。父は戦争に行き、苦労したようですが、終戦に近かったのが幸いしたようです。伯父はノモンハンで戦ったということで足に障害を負っていました。親戚の人は中将だったといい、尊敬されていました。それらを見ていると、むげに「戦争は・・・」というような意見を言うことははばかられました。

 今はまるっきりの外野の見方として、「侵略戦争は悪だ」と言えます。でも難しいですね。中には「移民も侵略戦争だ」と考える向きもあるのです。実際、ロシアやベラルーシは国境に大量の移民を配置して、隙あらば入り込ませようとしているようですし、今回も「ウクライナに住むロシア系の人々を守る」という侵攻理由でした。

 そういう目的で北方領土にもロシア人を移住させているのでしょうし、旧ソ連の国々にも移住させているのです。これはロシアだけではなく、イスラエルもやっているのです。「そんなことしなくっても、なん百年か後には、世界は溶けているか、一つになっているかなのでしょうに」と思いますが、どうしても自分の夢を遂げたい人がいるのでしょうね。

 昔、あるところで働き始めたとき、そこにある機械を使ってやっと書類づくりを覚えたと思ったら、新しい機械が入ってきてがっかりしたことがありました。またなんとか覚えたら、また新しい機械が入ってきたのです。同じことが社会でも言えました。やっと取引先の名前を覚えたら、大幅な改変があり、会社名から部署名まで全部変わって、どこだっけというようなこともありました。

 機械でも社会でもそうなんです。止まってはいないのです。ましてや昔に戻るわけがない。歴史は私たちが歩んできた道で、現実は歩んでいく新しい道です。習うことはあるかもしれませんが、現実を受け入れ新しく工夫して開拓していく気持ちはもっと大事なような気がします。

 で、私はどうしたかというと、まもなくその会社を辞めました。進取の精神に欠けていてついていけなかったのです。

2024年5月18日土曜日

 不登校と洗脳

 工事期間中に、見たあるテレビ番組で、不登校を経験し、学校ではない受け入れ施設で過ごした五人が、高校課程を終了して、それぞれ進路を決めた理由を語っている場面がありました。

 工事期間中で忙しかったせいもありますが、どこの局のどんな番組だったか、PTSⅮの番組もそうですが、まったく覚えていません。たぶんNHKだったと思って検索で調べてみて、『NHKスペシャル「“学校”のみらい」』だろうと思いました。

 検索した記事には『文部科学省によると、病気や経済的な理由を除き、1年のうち30日以上、学校を休んでいる状況を不登校といいます。

さらに、「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しない、あるいはしたくともできない状況である」として、「不登校を『問題行動』と判断してはならない」と文部科学省は通知を出しています。』2016年のことだそうです。

 遅かったなあと思います。私には間に合いませんでした。私は真面目に学校に行ったのです。そこで基礎的なことも学びましたが、いわゆる「切磋琢磨」を美徳とする競争心も学んでしまいました。『人よりいい大学、人よりいい未来』。

 最近学校の近くを通ると、「○○君、国体○○種目優勝」などと書かれた横断幕をよく目にします。励ましているのでしょうが、これって『洗脳』じゃないかと胸が苦しくなる思いがします。誰もができることではないのに、努力をすればできるんだよとささやいているのです。

 また最近戦時下のロシアで学校教育を使って戦争の正当性を教え込んでいる、子供たちを洗脳しているという話が時々出てきていますが、学校って、そういう教育もできるのです。日本を加害者として教育しているという韓国の教育も時々話題になります。そういう意味では教育は何でもできるのです。

 番組は、その後フリースクールの話になり、更には次のような取り組みにも触れられたようです。

 『子どもが主体の学びづくりを目指して、大きな改革に取り組む山形県の小学校。ここでは授業の2割を、「子ども自身で学ぶ時間」に変えました。ひとりひとりの興味や関心をきっかけに、「自ら学びに向かう力」を育てようとしています。』

 これって私が最近、この歳になって気づいた『自学』のことではないかと思いました。私自身は、あの一貫した学校教育の中で追い立てられるように過ごしていて、自学をする勇気もゆとりもなかったと思いますが、『バカだったんだ』と今になって思います。

 私が見たのは、最初の部分で書いた、不登校になり、いわゆるフリースクールで過ごし、卒業した五人が進路について話している部分でした。皆さんそれぞれ、しっかりした理由をもって進路を決めています。はっきりは忘れてしまいましたが、「これが好きだから」とか「これに感動したから」とかだったと思います。生きていくために自分が何をするべきか、何ができるかを会得していたように見えました。不登校になってまで抵抗する地頭を持っていたから、洗脳されづらかったのではないでしょうか。

 私の時とは全く違います。私は「いい大学に入る」ために一浪したのです。その後の目標は何もありませんでした。バカだったんです。ほかに言いようがありません。

 考えるに、今の私がこれに気づけたのは『ユーチューブで勉強』ができるということがあるかもしれません。本当の社会を教えてくれているような気がします。

2024年5月16日木曜日

 PTSⅮ、心的外傷後ストレス障害

 いつものように何げなく見ていた番組で、私の対人恐怖症の原因らしきものがわかりました。脳にPTSⅮを起こす何かがあるらしいです。何かやってしまったことに恐怖を感じて、「悪いことばかり、後悔ばかり」考えてしまうのです。これ、考えなくてもいけないのでしょうが、強く感じてしまうと、前に進まなくなってしまいます。

 でも、今はこの歳になれば、年金のおかげで、働く、つまり人と関わらなくても生きていけるので楽です。