歴史に習う愚
『歴史に習う』という言葉は良いことだとずっと思ってきました。これも洗脳でしょうか。
でも、この頃気が付いたのです。習近平氏は毛沢東になろうとしているし、プーチン氏はエカテリーナの領土を取り戻し、スターリンになろうとしている。国の指導者として国民のための新しい道を模索しようとしていないのです。しかも教育で、自身の正当性、国の支配の歴史を教え、国民の頭を洗脳し、古き良き時代に引きずっていこうとしているのです。
工事期間中も、ウクライナの戦争は気になって、毎日ユーチューブで戦況を追っていました。ちょうど弾薬が枯渇し、苦しい時期で、目を離すことができなかったし、何かに集中していると、現実のストレスが紛れました。
プーチン氏のプロパガンダや反対派の抹殺行為を見ていると、まるで大戦時の日本のようだと時々思うのです。あの時、戦争に反対して拷問を受けた人々のことを歴史の教科書で学びましたが、あまり自分のこととして考えていませんでした。父は戦争に行き、苦労したようですが、終戦に近かったのが幸いしたようです。伯父はノモンハンで戦ったということで足に障害を負っていました。親戚の人は中将だったといい、尊敬されていました。それらを見ていると、むげに「戦争は・・・」というような意見を言うことははばかられました。
今はまるっきりの外野の見方として、「侵略戦争は悪だ」と言えます。でも難しいですね。中には「移民も侵略戦争だ」と考える向きもあるのです。実際、ロシアやベラルーシは国境に大量の移民を配置して、隙あらば入り込ませようとしているようですし、今回も「ウクライナに住むロシア系の人々を守る」という侵攻理由でした。
そういう目的で北方領土にもロシア人を移住させているのでしょうし、旧ソ連の国々にも移住させているのです。これはロシアだけではなく、イスラエルもやっているのです。「そんなことしなくっても、なん百年か後には、世界は溶けているか、一つになっているかなのでしょうに」と思いますが、どうしても自分の夢を遂げたい人がいるのでしょうね。
昔、あるところで働き始めたとき、そこにある機械を使ってやっと書類づくりを覚えたと思ったら、新しい機械が入ってきてがっかりしたことがありました。またなんとか覚えたら、また新しい機械が入ってきたのです。同じことが社会でも言えました。やっと取引先の名前を覚えたら、大幅な改変があり、会社名から部署名まで全部変わって、どこだっけというようなこともありました。
機械でも社会でもそうなんです。止まってはいないのです。ましてや昔に戻るわけがない。歴史は私たちが歩んできた道で、現実は歩んでいく新しい道です。習うことはあるかもしれませんが、現実を受け入れ新しく工夫して開拓していく気持ちはもっと大事なような気がします。
で、私はどうしたかというと、まもなくその会社を辞めました。進取の精神に欠けていてついていけなかったのです。