2015年2月4日水曜日


田部井淳子さんの事

 私の対人恐怖症、いつもいつも、『他の人たちにこう見えてしまったかしら』、『どう見えるだろう』と、人の視点ばかりを気にしているからなんですよね。そして、いつも『あんな事をしてしまった』、『こんなことを言ってしまった』と落ち込んだり、気が滅入ったりしているのです。昔から言われる自意識過剰というやつでしょうか。
 あるとき、とっても若い子に、「誰も聞いていませんよ」と言われて、それ以来、カラオケで歌が歌えるようになった話はしましたっけ。そうなんです、本当は誰も人の事なんかそんなに見てはいないんですが、自分が気にしてしまって、自己嫌悪に陥ってしまうのです。そうそう、自分だけは知っているのです、自分の悪いところを。
 先日、登山家の田部井淳子さんのインタビュー番組を聞いていましたら、田部井さんも福島から東京に出ていた大学時代、田舎出の劣等感からノイローゼのようになってしまったという話をされていました。『ああ、私と同じだ』と思いました。
 もちろん同じではないのです。田部井さんのあの大きさは生来のものですよね。
 田部井さんは私より約十歳年上です。女性で初のエベレスト登頂に成功されたというのは、私が社会に出てうろちょろしていた頃か、結婚した頃だったでしょうか。
 その後、何かをしたいと思っていてもどうしていいかわからずに悶々としていた私は、田部井さんが書かれていた記事を読みました。そこには、『女性だけでエベレスト登頂を』と誓い合って、準備していた生活が書かれていました。まずお金、確か、ピアノの先生をしてお金を貯めていたと書かれていたように思います。もちろん訓練、体調管理、持って行くものの準備、山の装備は特殊でしょうし、お金もかかったと思います。そして、ご主人に子供さんを託しての出発だったようです。
 あのとき、私は、背中を押されるように、自分の希望を叶えてくれそうな機関を探し、両親に子供達を頼み、お金の準備をしてアメリカに出発しました。
 あのときから、田部井さんの事は、先生とも恩人とも思って、陰ながら感謝してきましたが、今回また、新たに田部井さんの人生を垣間見せてもらって、私もそうしたいと思う事が多々ありました。
 ひとつは身内への考え方。ご主人と幼い娘さんを残して行った訳ですが、「もし自分に何かあったときはと考えなかったんですか」という質問に、「夫もいたし、子供は幼くても、もう既に一個の人間ですから、心配はしませんでした」と答えています。『よいご主人でお幸せですね』と憎まれ口をききたくなりますが、でもこれは仕事をする人の心構えですよね。
 息子さんは思春期に荒れたそうですが、それも一個の人間の成長過程と捉えたと言っていました。
 そして、数々の山に登って、老年と言われる歳になってから、シャンソンにも挑戦し、ブログも書き、運転免許も取り、大学院も卒業し、癌も克服したそうです。この癌の克服は、田部井さんならではです。抗がん剤を打ち、次の抗がん剤までの間に、行けそうな山に登るのだそうです。そうして、きっと抗がん剤をうまい具合に体中に廻したのでしょうね。癌が消えてなくなったのだという事でした。誰にでもできる事ではありません。
 現在、震災で被災した子供達を千人、富士山に登らせたいというプロジェクトをしているそうです。『山に登れば自信が湧いてくるはず』と言っていました。
 私自身はお風呂にも入れない山行きなどする気は毛頭ありませんが、『何かをしたいと言うと、きっと誰かが助けてくれるから、何かしたい事があったら、大きな声で言った方がよい』と言っていました。
 NHKの連続ドラマ、『マッサン』の週間タイトルの『渡る世間に鬼はなし』を地で行っているようですが、十年短い私の生きてきた経験でも、今読んでいるアメリカ史を見ても、やっぱり鬼はいるんです。どれが鬼か、見分ける力をつけ、本当にやりたい事を見つける事が大事だと思いました。本当にやりたい事でなかったら、傍迷惑になりますから。
 でも、やっぱり田部井さんは、私にとって人生の先生であり、見習うべき人に変わりはありません。ベニシアさんもそうです。見習うべき人は他にも何人かいます。