2018年8月24日金曜日

人を恐怖に思うこと

 この間、テレビで、とはじまると、いかにテレビを見ている時間が長いかがわかるのですが、脳の病気をして、性格が変わってしまったという女性が出ていました。ちょっと横目で、一部を見ただけなので、正確なことはわからないのですが、何か、すごくゆっくり話していたような感じでした。それが医学が発達して、お医者さんに治るかもしれないと言われたけどどうしようかと悩んでいるという話だったと思います。
 というのも、彼女としては、以前の自分と全く違う今の性格が気に入っていると言っていました。想像ですが、きっと冷徹なバリバリのキャリアウーマンだったのかもしれません。元の自分に戻るのがいいのか、今の性格のままでいいのか、脳の手術ですから余計に怖いです。
 もう一つエピソードが紹介されていて、ちょっとうろ覚えなのですが、以前は人のことなどお構いなし、自分中心の性格だった人が、(原因は何か覚えていないのですが)、ある日、やはり何かの原因で、別の脳が働きだし、人の気持ちを忖度するようになった。そうすると、家族の中でさえ、「ああ思っているんじゃないだろうか、こう思っているんじゃないだろうか」と、恐怖を感じだし、人と付き合えなくなったというものでした。
 いつものように、ああ、私のことだと思ったわけです。私の対人恐怖症と同じだと思いました。
 思い返せば、子供のころ私もいわゆる自己中でした。(今でもそのけはありますが)、母はかわいがってくれましたが、よく批判もしていました。いつもまとわりついていて、邪魔と言われて近所の遊びの仲間に入れてもらえなかった仲良しの弟は、いつの間にか独り立ちして、私は友人もいないまま取り残されました。これは弟のせいと思っていましたが、今考えると、私の性格のせいだったのかもしれません。大学のころまで、人の気持ちなど考えませんでした。
 それが、結婚して、夫や子供、生活の面まで、いわゆる比較の世界に入ると、人の気持ちを考えるようになったんです。そうすると、やはり、恐怖を感じだし、あまり深入りしないほうが楽だなと考えるようになりました。
 これが私の対人恐怖症なのかと思ったのです。いわゆる成長の過程なのだろうと。脳が変わるのです。別の脳が働きだすのです。夫がいじめっ子の話をしていましたが、戦後すぐのころにはいじめっ子はたくさんいた。そういう子ほど大人になるとおとなしくなるそうです。まさにこれです。すべてが心臓に悪いような嫌な思い出になるのです。