2020年1月2日木曜日

才能と自覚

 暮れになると、その年に亡くなった著名人の追悼番組をしますよね。そのひとつ、NHKの『耳をすませば』という番組で、田辺聖子さんの何本かのインタビューが流されました。
 NHKの連ドラは見ていて、すごい人生を生きた人だとは思っていたのですが、実は本は読んだことがなかったのです。その頃も話を聞いていると、とても面白い、だからと思って、本も実は一冊買ったのですが、読まずじまいでした。
 この時の何本かのインタビューも面白かったですし、選ばれた部分だったからか、内容に思わず頷くような才能を感じました。
 今、私はその言葉を再現はできませんが、大阪弁の言葉ひとつ一つに、言っている人の心を解き明かして見せてくれるのです。「こんな気持ちが入っているんだよ」と、普通の人にはわからない細かな感情まで説明されると、聞いている人は「わかった」という気になって、いわゆる、ほっこりします。これがこの人が作家として幸せにやってこられた才能なんだなと思いました。
 もうひとつ、物故者ではないのですが、夏井いつきさんのドキュメンタリーも見ました。NHKのホームページによると、
『俳句の種まき”と呼ぶ普及活動を愛媛県松山市を拠点に続ける俳人の夏井いつきさんに密着。見えてきたのは、難病と闘う女性や社会になじめず「引きこもり」だった若者、 子育てに追われ自分の時間をもてない主婦など俳句に全く縁の無かっ』た人たちに、俳句を通じて生きる力を与えているエネルギッシュな俳人の姿がかい間見えました。
 実はこれにも驚かされたのです。私はこれまで、俳句を作ることも読むこともありましたが、この短い詩がどんな役に立っているのかしらと、疑問に思うこともありました。
 ちょっと甘めのサスペンスが好きな私ですから、見終えて現実逃避の別世界に入れたことの、開放感や満足感のようなものがあるのが、文学だと規定しているところがあって、そう考えると、俳句は短くって、なかなかその世界に入れないし、入ったと思っても一瞬で終わってしまいます。線香花火のようなものです。
 でも、このドキュメンタリーを見て気づかされたことがありました。難病の女性が、俳句を作ることで、辛い病気を耐え忍んでいけているという姿でした。みんな何かを吐露したいのです。わかって欲しいのです。これはきっと手紙のような文学なのでしょうと思いました。
 思えば、正岡子規も病に苦しみながら作っていたのでした。