2021年2月16日火曜日

 本『父』ファミリーヒストリー

 書棚の整理をしていると、いろんなものが出てきますが、B5番の用紙にワープロで打って印刷したような黄ばんだ冊子が出てきました。表題が『父』と書いてあるだけの簡素なつくりで、夫の字で、民家調査をしたお宅でいただいた旨のメモが書いてありました。

 それは安政四年生まれの父を、明治三十五年生まれの四男が追想して、いとこ会で配ったもののようです。関係する人々の住所まで書いてある私的な文章は今では個人情報の暴露ということで、訴えられそうな代物ですが、せっかく書かれたのにそのまま捨ててしまうのは書かれた人の意に反するだろうと思い、読んでしまいました。

 それは本当にNHKのファミリーヒストリーと同じです。お父さんのお父さんが亡くなると、長兄が放蕩をして財産を使い果たし、一家離散になってしまった。七人くらいの兄弟の下から二番目だったお父さんは十歳ころ、長兄に連れられて江戸に出て、浅草、新吉原あたりで芸妓をしていた義姉のはこやになった。やがて、近くに住む医師の家に引き取られて、慶応三年から十年間を厳しく温かく、多分奉公人としてだと思うが、学問もさせてもらって生き抜いたようだった。

 それから、徴兵制で明治十年には入隊し、読み書きができたので、書記になったこと、代人料を貰って、他人に成りすまして再度入隊してくるもの、読み書きができないので、手紙の代筆を頼みに来るものなど、お父さんは兵隊経験を子供たちに語り聞かせていたという。

 やがて、除隊しても帰る家のないお父さんはその頃、開拓の夢の大地ともいわれていた北海道に行くが、成功することもなく帰ってきて、コバ葺きのにわか職人になる。それから、コバ葺きの請負をするようになり、見込まれて、十三代を数える地元の名家の婿養子になる。しかし、その家は家業の搾油業の拡大に失敗して、十三代目が失踪、その娘がお父さんを婿に貰って十四代目として跡をとったようだった。

 お父さんとお母さんはコバ葺きの仕事をし、精米屋もし、やがて本格的に農業に移行して家を盛り返していく。そして、一女四男が生まれて育つわけであるが、子供たちも仕事を手伝い、それぞれに助け合いながら、自分の道を見つけていく。

 教職を定年退職したこの四男さんが語るには、優しく、穏やかで、多くの経験を語って聞かせるお父さんであり、厳しく、全権を握っているようなお母さんだったようだ。

 お父さんが亡くなったのは昭和二年。戦後生まれの私などの想像もできない時代の話なのである。

 このほかにも、近しい人たちの話が出ているが、中でも失踪した十三代目の話が面白い。つまり、お母さんの父親である。事業に失敗して妻子を置いて出て行って、死のうとして海の近くまで行ったら、そこで荷揚げの仕事をしていた親方に拾われて、しばらく人足として働いていたら、軍港ができた横須賀が沸き返っていると聞いて、そこに向かい、死に物狂いで働いて、民宿を持ち、成功して、著者の長姉がその養子になったという話は、まさに明治大正ならではの成功譚であるように思えた。

 しかし、残念ながら、この冊子はこれで捨てなければなりません。