コロナのおかげ
夫が昨年8月の暑い時期に、誤嚥で急逝しまして、コロナを言い訳に、ごく身近なものだけで見送りました。
夫は歴史家の端くれだったせいか、それこそ、勉強したもの、調査したもの、行ったところ、見たところ、できる限りのものを取っておきたい性格で、我が家は倉庫と化していたのですが、それらを片付けて半年が、悲しむ暇もなく経ってしまいました。
コロナのおかげというと、語弊がありますが、おかげでいろいろ思い出しながら、発見しながら、一人で静かに作業を進めることができました。
中でも一つ気になっていたことがありまして、無神論者の私は前々から「葬式はしない」と言っていたのですが、得度をして法名まで頂いている夫が納得していたのかと気になっていました。
ある日、片づけ作業の中で、今ベストセラーになっている「葬式はいらない」という本が出てきて、夫もある程度は納得していてくれたのかなと思えてほっとしました。
そういえば、お墓もつくらないで、散骨にすると言った時も、「お墓は明治以降に庶民も作り出したんだよ」と、歴史家らしいことを言っていました。
奥さんを亡くされた城山三郎さんの「そうか、君はもういないのか」という本がありましたが、私もときどき、「そろそろ、帰ってくる頃だ」と思って、「いないんだ」と思いなおすことがあります。でも、「いる」と思っていてもいいのではないかとこの頃思います。
法衣を来て、雲水のようないでたちで逝きましたから、きっとあちこち歩きながら、時々道端の畑で話しこんだりしながら、懐かしい両親のもとに向かっているのだろうと思っています。