2024年10月31日木曜日

 ユーチューブ勉強、冷えとは

 10月も末になり、昨年経験した足の冷えがうずうずと感じられてきました。昨年は本当にひどかったのです。足の甲の感覚がなくなるくらいでした。もちろん温めました。でも、いくらカイロを貼っても全然温まりませんでした。

 それで血圧も高く、今考えると、二月には胃もおかしくなり、吐いてどっと痩せたという経緯でした。

 そこで、幸いにもトレーニングに出会い、暑くなるにしたがって血圧も下がり、今年はなんとか昔のように冷え知らずの体になるかなと期待していたのです。

 しかし、うずうずと冷えてきて、血圧も上がり始め、冷えの不安は広がり始めました。この足が冷えてきたなと感じたときに血圧を測るとどっと高くなっているのです。車の運転後に測った時も高くなりますから、緊張時に高くなるのでしょう。

 これはユーチューブで調べなければなるまいと思い、何個か見たのですが、なかなかぴったりくるものに出会いませんでした。

 やっとこれはと思ったものは、岩手か山形のテレビ局の番組で、女性医師が解説していたほんの一、二分の部分で、今はもう、どこに行ってしまったかもわからなくなってしまいました。普段あまり、テレビ局のユーチューブは見ないのですが、冷えの症状を四つに分けた中に、私に当てはまるものがあると思ってメモしていたのです。

 今見ると、汚い字で乱雑に、かつ部分的に書いてありますが、その四つの型とは、『全身型』『四肢末端型』『下半身型』『内蔵型』です。私は『下半身型』だろうと注意を引かれたのです。

 『全身型』とは、不摂生などで基礎代謝量が落ちて、貧血などを起こしやすい、全身型なので気づきにくいとの説明でした。

 『四肢末端型』とは若い人に多く、ダイエットなどでバランスの悪い食生活をしていると起こりやすいそうです。

 『下半身型』の原因はデスクワークや加齢などで筋力不足になると起こりやすいということでした。下半身だけ冷えて、上半身や顔には汗をかくと言っていましたが、これは私には当てはまりません。

 『内蔵型』は下腹部、太もも、二の腕、などが冷えるそうです。ストレスや冷たい食べ物などで自律神経が乱れると起こるそうです。

 こう並べてみると、便秘に悩む私は、『内蔵型』でもありそうです。

 細かい症状としては、冬になると体温維持のために自律神経が末端の血管を収縮させるのだそうです。それで末端の血流が悪くなる。改善策は『ストレス解消』『ストレッチ』『温める』『冷えを病気としてとらえる』、私の場合は高血圧でしょうか。

 そういえば、前に見たあるコマーシャルを思い出しました。『おなかを温めると手足の冷えまで治る』と言っていました。最後まで見なかったので、どうやって温めるかわかりませんが、石原新菜先生の『温活の勧め』を思い出し、おなかが何重にもカバーできる長めで大きめの服を着ようと思いました。

 追記

足の末端の毛細血管が萎縮するから冷えて水虫になるのです。内臓の毛細血管が萎縮するから便秘になる。縮んだ毛細血管に血液を通そうとして血圧が上がる。まだこの段階ならいいのです。心臓の毛細血管が委縮したら心筋梗塞になり、脳の毛細血管が委縮したら認知症になるのじゃないですか。私の感覚としては。

2024年10月26日土曜日

 かわいそうなわが家のサツマイモたち

 おととし、わが家の狭い庭の隅に、サツマイモがつるを伸ばして、『お、これは』と強欲な私に期待を抱かせました。生ごみを埋めた場所ですから、生ごみの中に私の好きな『紅あずま』の切れ端がはいっていたのでしょう。蔓を伸ばしてはいましたが、少し遅かったので最初からあまり期待はしていなかったのです。それでも、秋になって掘り上げたとき、いもの影も形もなかったことはさすがにショックでした。

 だから今年、私のお気に入りの『紅あずま』の端っこを小さな畑の真ん中に、何個か埋めたのです。それらから上手く芽が出ると、今度は欲を出して、わが家で一番大きな植木鉢に何個か埋めました。ユーチューブで、袋栽培でサツマイモを大量に収穫した話をしていたのです。三回目は少し土を盛ってあるところに数個植え、他の野菜と一緒にたっぷりと水をやり、今年買ってきた化学肥料も数回施し、これで大収穫のはずだったのです。

 つるは伸び、葉は生き生きと四方八方に伸びていきました。あまりの勢いの良さに、来年はこれでグリーンカーテンを作ろうと来年の夢まで見ていました。もちろんユーチューブも時々見て、つるの勢いがよすぎると「つるボケ」という現象が起きる、「つる返し」という作業をするといいと言っていたので、お隣に行きそうな蔓を時々内に戻しました。九月の末には「試し掘り」をすると言っていたので、勿論やってみました。残念なことにまだ根っこの状態でした。「今年は暑かったから」と言い訳をかんがえましたが、不安は残りました。 いよいよ、10月も後半に入り、ユーチューブでも、芋ほりの話題がいくつか出てきて、『ひろちゃん農園』ではあまり太った芋はできなかったようでしたが、他のユーチューブでは大きくなりすぎて、「もう掘らなくては」と焦っていました。

 ちょっと不安がよぎったのは、どちらの畑も土が固くって堀づらそうでした。わが家のはふかふかの土です。

 そして花火の日も近づいたある日、孫たちも喜ぶだろうと掘る決心をしました。まず最初に植木鉢をひっくり返してみました。芋の形さえありませんでした。あんなに蔓が伸びていたのに。少しは形が欲しいと思って、最初に植えた場所を掘り返してみました。これも同じ。細い芋とも言えない芋が数本。最後にちょっと高くしてあった場所を掘ってみると、ここにはやっと芋と呼べる代物が数本。考えるにほとんど全滅でした。

 あとで、いろいろ見てみると、サツマイモには水と肥料はいらないのだそうです。一番ほったらかしでもできる作りやすい作物なのだそうです。

 来年は今度こそリベンジの年です。大量に出た蔓の残渣をたい肥にして、もうどこに植えるかも決めています。

2024年10月23日水曜日

 神社の存在意義

 いつも宗教は詐欺だと言っている私ですが、ある日、大きな鹿島神宮の森に行ったときに突然ひらめいたのです。この大きな自然が守られているのは、この神宮のあるおかげだと。 日本の神道は、他の宗教とは違うという意見を聞いたことはありましたが、この神宮も権力者の政治的影響力に使われたことに変わりはありません。私は一度ここで嫌な体験をしたことがありまして、中にある建物の裏手に回る木戸が開いていたことがあって、当然入ってもいいものと思って、お客さんを伴って入っていきましたら、叱責されて追い返されました。お客さんの手前、面目丸つぶれで、恥ずかしいやら、みんなのものと親しみをもっていた神社が私たちのものではなかったと思う失望感で、それ以来、宗教は権威主義的で排他的なものという感覚がこびりつきました。

 人は、私を非常識と思うかもしれませんが、私の田舎の村の鎮守の雷電様は子供の遊び場で、後ろに回ろうが下にもぐろうが、特別危険がある場合以外は誰も何も言いません。

 そう考えたとき、神社には、自然発生的なものと、権力者が作ったものと二通りあるような気がしてきました。前者には、水守、山守、鎮守などがあり、なるべくそのままで、何事もなくいてほしいという願いのこもったもの、後者は政治的に人心掌握のために権力者が援助をして作らせたもの。当然後者は大きく、見張りのための神官が威儀を正してお祀りをしています。前者は無住です。それでも、そのあたりの自然を守っていることには変わりありません。

 そんな村の鎮守もお祭りの時は違った顔を見せます。みんなが神様のために力を集め、神様の代理人のようになって、善男善女の心を一つにしようとします。だから、同じ心境になれない人たちは、例えば、私のように参加できない人、同調できない人は悲しい目をして、神様の権力を持った人たちを横目に見ているしかありません。これは、私だけではありません。満州で生まれ、戦後引揚者で、各地を転々としたという、なかにし礼さんが「お祭りは嫌いだ」と言っていたのを聞いたことがあります。確か、「お祭りは、そこに住む人たちだけのものだ」と言っていたような気がします。

 確かに、自然の大きな力や外部勢力と対抗するためには結束が大事で、そのための権威が必要だったのかもしれません。野放図な怠け者の自由人は参加できないのです。そして、私は集落が結束して生きていた古代社会では生きていけなかっただろうと思います。

 こんなこと、それなりの専門書を読めば書いてあることなのでしょうが、今、私がわかったということが大事なのです。そういうわけで、私は宗教は方便だという考えに固執しています。

2024年10月11日金曜日

 私のゴールデンタイム

 トレーニング6か月目の10月半ば近く、日も短くなり、寒くなり、暑さに張り合うように気を張って運動してきて、はっと気が付くと、なんとなく疲労が胸のあたりに忍び寄ってきている感じがして、『どうしようか、休もうか』とか、怠け心が起き出してきました。

 そんな時、トレーニングの合間や前後の休憩時に崩れるように座っていた電磁治療器が壊れて修理に出されてしまいました。寂しいやら、悲しいやら。それがないだけで疲労がどっと溜まってくる感じでした。

 さて、どうしようか。怠け心はますます言い訳を作ってしまいます。

 もともと、DIYの『壁紙貼り』は涼しくなったらやろうと思って、ネットを見たりしてやり方や商品を勉強していたのですが、いよいよその時期に差し掛かってきていました。

 そこで考えたのです。『時間が足りない』と。

 小さいながらも庭畑は秋の収穫と片付け、種まきの時期、家では衣替えの時期、今までの一日のスケジュールにDIYの『壁紙貼り』を入れる余裕はありません。

 そこで、『考えたのです』。いや、『考えたかった』のかもしれませんが、寒くなるまで、トレーニングを一時停止して、DIYの『壁紙貼り』をやろうと。『いいじゃないか、私のゴールデンタイムは、私が自由自在に使えるはず』。

 ちょっと心によぎったのは、一緒に通っていたお仲間のこと、90歳の大先輩は元気にしていてくれるかなとか、ちょっと親しくなった人たちは心配しているかなとか、もともと、昼と夜とに分けて、時間は決めていなかったので、いないときは夜の部に行っているのだろうと思ってくれるかなとか、電磁治療器は治ったかなということ。

 何もかも忘れて、この気候のいい時期、3か月、10、11、12月、暮れの大掃除もかねて家半分の壁紙貼りをしようと、30メートルののり付き壁紙を買ってきてしまいました。買ってきてしまってから気が付いたのです。壁紙を貼るためには、タンスも机も、壁際のものすべてを動かさなければならない。意気はだんだん消沈して、『できる範囲で』と方向修正しました。

 まず、元の壁紙の剥がれを直して、拭き掃除をすることから始めました。脚立の上り下りが頻繁になるにつれて、腰が痛くなりだして思い出しました。四年前、夫の遺品整理で脚立の上り下りを頻繁にしていた時、足腰が立たなくなるほど疲労したということを。さあ、頑張りましょう、トレーニングの代わりです。

2024年10月5日土曜日

 ユーチューブ勉強、人生のゴールデンタイム

 私のような70代でおひとり様をゴールデンタイムと呼ぶという動画を見つけて、ついつい見てしまいました。出先で偶然に見て、すべてを覚えているわけではないのですが、家に帰って検索して又見ようとは思いませんでした。それを実感している人間にとってはそんな当たり前の動画だったのです。

 70代のおひとり様はなんでも好きなことができる。昔で言えば、いわゆる『隠居』の身分です。隠居ですから金銭的ゆとりはないけれど、現役を引退しているので身体的にも時間的にもゆとりがある、自由です。

 確かに今まで考えもしなかったいろんなことが頭に浮かんできます。生き方、今まで、これから。今からしたいこと、頭の中で考えることは自由で無限です。それを追い求めることも誰に遠慮もいりません。

 時間が足りないというくらい積極的な人もいますが、「何か目標を立てて、それに向かってやっていないと、思考が先細りして、ひいてはマイナスになってしまう」と、80代の義兄は言っていました。『人生を生ききるための五本の柱』はやはり必要なのです。

 でも、夕暮れと同じで、やがて目が見えなくなり、闇は必ず訪れます。今はその黄昏の一瞬なのでしょう。

 この時間を長く保つために、思考と体力の両方を追い求め、時間を満喫することがこのゴールデンタイムの過ごし方なのでしょう。確か、動画もそう言っていました。