2012年10月12日金曜日

今だけに集中する 

 『あるのは現在だけ、今を最高に生きる』という言葉は、昔から言われていましたが、私が実感として分かるようになったのは、つい最近、年金を貰い始めてやっと一息ついた後でした。
  その頃、やりたいことはいっぱいあったのです。しかし、父が亡くなり、母が認知症になり、特有の騒動を起こし出し、足腰が衰えて入退院を繰り返すようになり、加えて夫の糖尿病、それに起因する脳梗塞、入院退院。初孫の世話。『何でこんなに忙しいんだろう。やりたいことはいっぱいあるのに』と足掻きしていました。
  そんな状態の一年半前、東日本大震災が起きました。昼過ぎでしたか。孫と娘が来ていましたから、私は孫を抱き寄せ仁王立ちしていました。
  父が亡くなったときから、死は随分身近に感じられていましたが、その後の津波、行方不明者、原発放射能漏れなどが次々に起こると、もう、やりたいことなんて言っていられません。みんなで知恵を集め、手を貸し合って生きて行けなければならないのですから。
  わが家でも皿は割れ、本が落ち、柱が少し曲がりました。それでもたいした被害は無く、水道や電気が止まり、交通渋滞で孫と娘が帰れなくなったことくらいでした。それらの片付けを娘たちが協力してやり、水道の止まったわが家で、下の娘が抜いていなかった風呂水を管理して水洗トイレの水を間に合わせました。
  あの震災以来、絆という言葉がクローズアップされた感がありますが、私も実感として体験しました。家族がいて自分がいるのです。あれ以来私はやりたいことの一つを忘れました。家族への手助けが最優先になりました。『何と遅い気付きか』と思いますが、とにかく気付いたのです。
  今、私は家族の中心にいます。結構重労働です。確かに昔から中心にいて重労働で、その頃は『逃げ出したい、違うことをやりたい』といろんな夢を見たり追いかけたりしていたのですが、今は掃除機をかけているときでもその時間に集中しています。『明日はこのカーペットを洗濯しよう』とか、『使えない前の掃除機の集塵バッグはどうやったら再利用できるか』とか、洋服の出し入れのときは、『この使わない服の再利用はどんなふうにしよう』とか。昔は『早く終わりにして、次の何かをしなければ』と急かされるようにやっていた夢とはかけ離れた家事が、そこに家族の喜ぶ顔が浮かぶことで夢中になれるのです。
 そこにはもう、思い煩う過去も夢に見る栄光の未来もありません。夢中になっている現在だけです。こうした最良の現在の積み重ねが信頼に繋がり、最良の未来になるのでしょう。イチローさんの名言は『小さなことの積み重ねがとんでもないところに連れて行ってくれる』でしたか。
  やりたい夢はいつかまた始めます。それよりも今は『今が大事』なのです。今しなければ消えてしまうことも人もいっぱいあるのです。過去も未来も思い煩うのは愚かです。やっと認識しました。
  更に考えてみると、父母のことが思われました。本当にたくさん助けてもらいました。私に愛情があるからだと不遜にも思っていたのですが、今はそれだけではなかったのではないかと思われます。あの時代の人たちは戦争を経験しているのです。『みんなで助け合って』というのは言われなくても身に染み付いていたのでしょう。みんなが助け合って同じ方向を向いて、だから戦後の大きな経済成長を成し遂げられたのではないかと思いました。