テレビの影響
昨今、まるでテロ行為のような無差別殺人のニュースが散発的に聞こえてきます。この歳になると、『どうしてだろう』等と考える事も避けて通りたい気分ですが、テレビに逃げ込み気味の私が好きで見ているサスペンスものも影響しているのかなあと思ってしまいます。
あれって、必ず人が殺されるのです。そして、殺された後の段階だけなら、死体を見せるだけで済みますが、その殺人の場面まで映し出すのです。手近な石で殴り殺したり、ハンマーを使ったり、首を絞めたり、階段を突き落としたり、どれも簡単に殺人が出来てしまうのです。
意外と神経質な夫は、私の趣味を『気持ちが悪い』と吐き捨てるように言いますが、嫌悪感を持っている方が健全なのかも知れません。
私のように人ごととして見ている分にはいいのですが、『ああ、意外と簡単だ』と思ってしまう人や、知識として取り込んでしまう子供達に、影響が出ているのではないかと心配する人がいるのは当然です。サブリミナル効果というのもあります。私でさえときどき感じますから。
わが家では、親達も子供達もテレビゲームはほとんどした事がありませんが、テレビゲームの悪影響を言う人もいます。ゲームというのは野球だってサッカーだって、相撲だって、戦いです。戦って相手をやっつけるのです。スポーツが良くてテレビゲームが駄目というのもおかしな話ですが、テレビゲームは自分の身体に、汗と痛みを感じないから、人の苦労や痛みが判らないとよく言われます。
それではやっぱり私のようにテレビスポーツ観戦ばっかりしている人は、人の痛みが判らないのでしょうか。そんな事はありません、人間がしているのを見ていれば、『ああ大変なんだな』とか、『負けて口惜しいだろうな』とか、プレイヤーに対して同調する心が出てきますから、ちょっとは違うような気がします。
テレビゲームは人ではないのです。軍隊の司令官が戦いのゴーサインを出すように、危険な戦いのゴーサインを心の通わない架空の兵士や、死なずに起き上がるサイボーグに出しているので、いつの間にか、世の中は無機質なもので、意のままにしてもいい存在であると錯覚してしまうのでしょうか。
でも、こういう意識って、甘やかされて育った子供には昔からありますよね。私もそうでしたから。それでも、長く生きて来ると、どこかの時点で頭を叩かれるのです。判らせられるのです。そして、私のように対人恐怖症になるのかも知れません。そうしたら、対人恐怖症も人間としての進歩、通るべき関門と言うべきでしょうか。
何が言いたいのか判らなくなってしまいましたが、人はやっぱり優しく教育し,されるべきだと思います。色々な経験をして、お互いに庇いあいながら生きるようにすれば、ストレスも減り、例えテロの仕方は知っていても、相手を思いやれれば行動にまで走ることはなくなると思います。私がそうできたかという事は置いておいて。