名優とは
昔、声帯模写の先代江戸家猫八さんの出ていたドラマを見たとき、この人はすごい俳優にも成れる人だと思ったことを覚えています。
江戸家猫八さんと言えば、昔々、『お笑い三人組』という長寿番組に出ていましたし、そこで有名になったのですが、私はその時から、何か違和感を持って見ていたのです。お笑いにしては眼が鋭すぎるし,顔が暗すぎるのです。子供心に、どこか作っているお人好しという感じがしていました。
その猫八さんが、サスペンスのようなものに出ていて、悪役をやっていたとき、『すごい』と思ったのです。『なぜか』、そのときは分かりませんでした。
でも、今なら、何となく分かるような気がします。きっと、あれが猫八さんの『地』の部分なのだろうと思えたのです。人間は普通の生活では地を出さないように、用心して生きているのです。つまり、演技をして、自分を押さえながら生きているのです。ところが実際は、人間は表に見せる良い面と内に抑えて見せない悪の面があるのです。そう言う面が、役を演じることでほとばしり出たと言えるのではないでしょうか。
つまり、名優とは、心のうちに、様々な灰汁を持ちながら、現実世界では、上手に切り替えて、まるっきりお人好しのように振る舞える人です。そうすると、猫八さんは名優ではない、正直な人だったかもしれません。
それに引き換え、あれだけ、悪人から善人までいろいろな役をこなして、エピソードもいっぱい残して亡くなった三国連太郎さんが、徹子の部屋に出たときの、『もの柔らかさ』を奇異な眼で、違和感を持って見てしまいましたが、そう言うことだったのだと今は思います。あれが、この世で生き残るために本人が演出した演技だったのでしょう。そして、地は様々の役を演じるときに出していて、それである意味、ストレスを発散していたのだろうと思います。
これは歳を重ねて分かることです。歳を取るということは『何となく分かる』ということが増えて来るのです。悪いことばかりではありません。