2018年2月23日金曜日

天は人の上に人を作らず

 有名な福沢諭吉先生の学問のすゝめです。その少し後に、『賢人と愚人の差は学ぶと学ばざるとにある』と続くらしいです。
 でもと思いました。
 私、学んだんですよ。頭がいいの優秀だのとおだてられて、オリンピック並みにみんなと競争しました。だって、団塊の世代ですから、田舎の中学だって、月に二度くらい県内一斉の学力テストがあって、返ってくる点数で、親もろとも一喜一憂して、小さな村だったからよけいです。親が喜ぶのが私の喜びでもありました。
 高校は、安全圏の女子校でしたから、学内での成績は良くても、対外的な大学受験には向きません。一年浪人して東京の国立大学に入りました。何のことはない、ミーハーで東京というところに行きたかったのです。
 大学には入りましたが、競争のモチベーションを学問に切り替えられなくって、中退寸前でした。親の期待だけが卒業の原動力だったと思います。
 『賢人と愚人の差は学ぶと学ばざるとにある』なんて嘘です。私は親のお金をたくさん使って、夢中で学びましたけれども、愚人です。この歳になっても、何をしたいか、何が出来るのかわからない人間です。
 『賢人と愚人の差は考えると流されるとにある』と言いたい気持ちです。追い立てられるように勉強して競争して,自分の人生等考えもせず、ただ流されて、ここにたどり着いたという感じです。
 ゆとり教育が国際競争に遅れを取るとの批判に遭い、修正されましたが、ゆとり教育が必要な子供もいるのではないかと思います。教育は一斉に競争、ではなく、一人一人に合わせて欲しかったな,学問だけでなく、人生で何がしたいか、どんな未来が可能なのかを考えさせて欲しかったなと今は思います。
 親の責任でもあったのでしょうが、私の母は運動抜群で競争大好き人間でしたし、生きるのに必死だった私も子供達に何もしませんでした。親にもゆとりがなかったのです。
  今、歳をとって,振り返って思うのです。
 でも、人生百年時代ですから、これからだって、遅くないのですよね。時間はいっぱいある。毎日、自問自答をしながら生きればいいのですよね。もう人のことなんか気にせずに、オリンピック選手のように自分に集中して、そしていつか賢人になれるように。
 そういえば、こんな言葉も有りましたね。『学んで思わざれば則(すなわ)ち罔(くら)し思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し』 「学んでも考えなければ、[ものごとは]はっきりしない。 考えても学ばなければ、[独断におちいって]危険である」 孔子 『論語』(金谷治訳注/岩波文庫)より 幸せのヒント 「学ぶこと/考えること」。
 こんな言葉もあったのを知っていたのに、私の身にはつきませんでした。
 これからですね、これから。幸い今はゆとりの時間がたくさんあるんです。