2018年5月10日木曜日

小人閑居して不善をなす

 《「礼記」大学から》つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない。
 この言葉、昔から知っているのです。意味もよくわかりますが、これを、自分に当てはめて考えたことはありませんでした。自分が小人でないからと思っていたわけではありません。小人でないように努力しようとは思っていたのです。
 先日、つと考えるに、夫は、さんざん、不善をした、あれは、自分の好きなことを目いっぱいしようと仕事を辞めて、閑に飽かせて思いつくことを手当たり次第していたからじゃないかと思い至りました。
 『まさにこの言葉だ』と、いまだに恨みがましく言うほど、生活は、大変だったのです。
 でも、この頃、歳をとって私も暇になって、テレビの前で一日過ごしたりしていると、冷蔵庫の中が気になって仕方ありません。食べ物のことが頭を離れなくって、つまり、食べてしまうのです。
 でもです、暖かくなってきて、洋服の出し入れをするようになって、少し処分したり、リフォームしたりと、忙しく過ごしていると、おいしいもののことを忘れている自分に気が付きました。
 つまり、私が肥満から抜け出せなかったのは、私が小人で、暇を見つけては、過食という不善をなしていたのだということに気が付いたのです。
 以来、食間には、食卓の前を離れて、必ず、何かの仕事をするようにしました。そうすると、不思議と食への依存感は少なくなってきたように思えます。
 今の時期は、庭の水やり、草取り、野菜の収穫から調理、洋服の出し入れ、リフォーム、体操、買い物ウオーキング。老人にも、やるべき仕事はたくさんあります。冬が過ぎて、いい季節になりました。