2021年12月3日金曜日

 ネット記事

 私のように、ちょっと対面の対人関係が苦手な人は、ネットの多様な記事やコメントは、誰にも知られずに、知識を吸収したり、自学したり、賛同したり、感心したりできて、ありがたい存在です。更にこうして、学んだことや感じたことを、素知らぬ顔で発表できるのも、社会性がないと自他ともに認める私の社会参加の表れのような気がして、楽しいのです。

 『元マラソン選手で日本陸連の副会長を務める瀬古利彦氏(65)が1日放送の「徹子の部屋」(月~金曜後1・30)にゲスト出演。今年4月に34歳で亡くなった長男・昴(すばる)さんについて語った。』

 これは先日来、何回か読んでいる記事でした。

 『昴さんの亡くなる2年半ほど前からはマッサージをするのが日課だったという。「肩が凝るからマッサージしてくれる」と頼まれて始めると、半年ほどたったある日、昴さんが「僕一日の中で何が一番楽しみかって言ったら、お父さんのマッサージが一番楽しみだ」と語った。瀬古氏は「じゃあ俺、毎日マッサージしてやるから。飲んで帰ってもやってやるから、待ってろ」と約束。昴さんは言葉通り、瀬古氏が外で飲んで帰って来た時も待っていたとした。』

 リンパ腫で8年の苦しい闘病を家族みんなで支えていたようでした。

『入院中に体調が悪くなり、呼吸が苦しくなり、モルヒネを打つ前には電話がかかってきたとし、瀬古氏がかけ直すと、昴さんに「お父さん、僕がこんな大事なときに何で電話に出ないんだ!僕お父さんに最後に言うね、もう声出せなくなるから言うね!僕、お父さんのこと大好きだよ」と言われたとした。』

 何度読んでも涙でした。

『瀬古氏は「だから天国に行っても悔いはないんです。もうやり切ったんで家族で」』

 この言葉を読んだとき、『ああ、これだ』と思いました。

 夫が亡くなってから二度目の寒い冬がやってきました。まだ時々、隣の部屋にいるような気がして、『着るものは』と考えたりして、少しは淋しい気もしますが、これは自然なことなのだという思いは変わりません。

 私にも、この『やり切った感』があるのです。

 あれは亡くなる何か月か前、ネット記事に、「東大卒ホームレス」という記事が出ていて、私が、家族の前で、「私がいなかったら、パパもこれだったね」と冗談交じりに言ったのです。もちろん、夫が賛同するとは思いませんでした。ところが「本当にそうだ」と言ったのです。一瞬耳を疑いましたが、誰も何も言いませんでした。夫のこの言葉が私の『やり切った感』の根拠となっているのです。