年寄りの話 なぜ今なの
以前、松田妙子さんの講演会での言葉、『二十年サバを読む』という話をしたことがありましたが、あの頃、松田さんも、今の私と同じ75歳頃だったのではないかと今思います。
「この歳になったらね、20歳サバを読むのよ。私だったら、20年若いと考えると50代だから、五十代で、この見識、人脈、この地位があったら、鬼に金棒でしょ。」
その頃、彼女は確か、二つの財団の理事長をしていて、公安委員だったと聞いていました。もちろんその他にもベトナムで学校を建てるというような慈善活動もしていたと思います。
あの頃、私は多分五十代で、何もない状態だったので、『30代か、悪くはない』と能天気に考えていたような気がします。
それが、あの頃の松田さんと同じ年頃になって、初めてわかりました。
あの、苦労していて、お馬鹿で、何もしていない50代の私に比べて、70代の私は格段に進化しているのです。年金生活になって時間もでき、一人になって、なんでも自分でしなければならなくなると、物事を深く考えるようになるようで、その分、知識も洞察力も増えました。人脈や地位はないけれども、『一生懸命する五つの柱』を持ち、毎日忙しく、楽しく、日々が飛ぶように過ぎていきます。
だから『なぜ今なの』と思うわけです。この生き方、必死に生きていた50代では到底できない生き方だったのです。70代だからの時間と生活のゆとり、それゆえの見識だと思えるのです。
そして忍び寄る『物忘れ』、バイデンさんだけの話ではありません。バイデンさんは立派な大統領です。確かオバマさんの副大統領だったのですよね。今となってはあの時にバイデンさんが大統領をすべきだったと思いますが、やはり、トランプ氏を負かした75歳ころに『気が最高』に達していたのでしょうね。『なぜ今なの』と思うくらいに。
私としては、なぜアメリカ国民がトランプさんを選ぶのかわかりませんが、80代はやっぱり鬼門のような気がします。お二人にとっても、私にとっても。