2025年2月28日金曜日

 内心と表面、

 誕生日のお祝いって、遠慮しないでやってもらって思い出に刻んだ方がいいです。長い年月が経ってしまうと75歳だったんだか、76歳だったんだか、定かでなくなってきます。一生懸命数えてみたら、76歳でした。

 この歳になって確かに物忘れは多くなりましたが、一つだけ進歩したなあと思うことがあります。

 それは、内面の大波が表面には出て来なくなったということです。

 ユーチューブを見て、時々感動して泣いたりはするのですが、昔はその感動を誰かと共有したいとキョロキョロと誰かを探していたものですが、今はぐっと抑えられるようになりました。ほかの人にも、その人時間で感動することがあるのだろうなと思えるのです。よく選挙の投票で家族がけんかになると聞くことがありますが、私もやりかねない人間だったのです。

 よく『歳をとると丸くなる』と言いますが、そうゆうことだったのかと思いました。つまり、内面を表面に出さない術を覚えたのです。

 こういう事って、若いときにもできただろうと思います。できている人もいるのでしょうが、私はこの歳になって気づいたのです。

 しかし、この術を知っていると、つまり、『心の内面なんて、忘れたふりをして生きる』と、人生、楽かもしれません。これが老後のゴールデンタイムタイムなのかもしれません。

 トラフィック

 昔、ブロガーの統計情報には、トラフィックという項目がありました。それは中継のようにしてブログスポットを通り過ぎていく電波がどのくらいあったかという数らしいです。それが来ると閲覧者数が跳ね上がります。

 ロシアが侵攻を始める前、つまり10年くらい前ですが、私のトラフィックという項目にはロシアからという閲覧数が異常に跳ね上がっていました。『ロシア人が日本語わかるのかしら』といぶかって、何度もトラフィックという言葉を調べましたが、再生回数を上げてくれるものという感じでしかわかりませんでした。

 その後、ロシアからが落ち着いたと思ったら今度はアメリカからのトラフィックが多くなりました。「アメリカには日本人もいるから」とか呑気に構えていましたが、そういうものでもないですよね。

 やがてブロガーの統計情報にトラフィックという項目がなくなりまして、しばらくたった先日、私の閲覧数がどんと伸びました。本当かしらと思っていた矢先、多額の暗号資産が北朝鮮によって盗まれたというニュースが出てきました。

 こういう仕組みを解明するのも面白いのでしょうが、私のように凡人の普通の人はただ単に楽しいコミュニケーションツールとして付き合っているのに、悪に組み込まれてしまっているのは予想外です。

 助さん、格さん

 風邪を引いた後に、寒い中でストレッチなどをしていたら、足の筋肉をひねったらしく、痛くて歩けなくなりました。これ幸いと、またユーチューブ三昧です。足は痛いけど、電気毛布の中でぬくぬくと、極楽、極楽です。

 2月27日、千葉県知事選挙が始まりまして、立花孝志さんが第一声を上げていました。この間の紆余曲折を追ってみると、最近まで出るか出ないか迷っていたみたいです。現職の知事さんは強いようで、かつ、さほど攻めどころもない。でも立花さんとしては夏の参議院選挙に向けて、話題性や発信力を弱めたくない。でも、前回も二馬力選挙とか言われて批判も出ている。今回比例で、一位立花、二位浜田でやると言っていましたから、どうしてもここで優秀な浜田議員を、正当に選ばれた議員として押し込みたい。と、こんな思いがあるのではないかと、勝手ながら推察しました。前回は立花さんが辞めて、浜田さんが繰り上がったようです。

 誰とは言いませんでしたが、「また二馬力と言われかねないから止めたほうがいい」と言われたと言っていました。「誰に」と聞く記者に、「僕が素直に話を聞く人だ」と言っていました。これ浜田さんのことですよね。あんなに一生懸命立花さんを支えているのですから。

 「300万円の供託金が集まらなかった」とも言っていました。

 でも、この前の国民会見の席上で「供託金も集まって出ることになった」と発表していました。その席で、丸山穂高元衆議院議員の副党首が、「ぜひ出てください。足りなければ僕も貸しますよ」と言っていまして、皆さんの笑いを誘っていました。彼は無給、無職の副党首なのだそうです。ユーチューブの登録者数が10万人になったと言っていましたから、立派にユーチューバーになったのでしょう。

 そして、「千葉県知事選に立候補して、街宣活動は兵庫県でやる」と言っていました。まだまだ続いている兵庫県のごたごたが心配でたまらない立花党首の心を見透かして、「これに問題はない」と丸山副党首が太鼓判を押していました。

 立花さんも優秀で、立派に『ひとり放送局』をやっているのですが、この二人の東大卒の助さん、格さんがいるからこそ、存分にやりたい正義に突っ込んでいけるのだろうと思いました。

 つまり、『骨を拾ってくれる人』たちがいるからです。

2025年2月23日日曜日

 ユーチューブ中毒

 帰ってくるとすぐにインターネットをつけて、兵庫県やウクライナのニュースを見たがっている自分に気づいて、『まるで中毒症状のようになっている』と我ながらあきれてしまいました。

 知りたい気持ちは強いのです。ウクライナで皆さんやられていないかとか、トランプさんは専門家が言うように本当にバイデンさんよりやってくれるのだろうかとか、心配でならないのです。

 これって人間として自然なことだと思います。別にさみしいから見ているんじゃないと強がりを言いたいのですが、テレビドラマを見たいのとあまり変わりがないような気もします。要はハラハラドキドキして正義に味方して自分の存在意義を見つけたいのだと思います。またそれは、知識を得ることと同じように楽しいことでもあるのです。

 皆さんの知識や動画の拡散もあって、選挙の大勝の後に兵庫の闇はどんどん暴かれています。恥を知らない闇の人達の暗躍によって、今度は皆さんはどうなってしまうのだろうかと心配になります。これで警察もグルだったら庶民になすすべはありません。まるでドラマです。

 SNSを見ていればどれが正義かわかるのに、どうして悪に味方してしまう人がいるのでしょう。本当に騙されているのでしょうか。意図をもって騙しているのでしょうか。だとしたら、まるでプーチンさんと同じです。いい大人が嘘をついて人を貶めるなんてことを子供たちに見せていいのでしょうか。どんなに社会的エリートでも、東大を出ていても、いや、それだからこそ、どれが正義か、どれがやってはならないことかはわかっているでしょうに、わかっていて悪をしているのでしょう。悪を仕組むのが生き甲斐のようです。

 そんな世の中のしがらみを生きている人たちの様子は、それこそドラマです。中毒のように目が離せなくなってしまっています。

 追伸、脳科学者の先生のお話によると、そういう人たちでも、自分は世のためにやっているという刷り込みがあるらしいです。だから、めげない様です。

2025年2月5日水曜日

 近頃のユーチューブ、音楽

 冷静に自分が見られるようになったと思われる今日この頃、『私には昔から音感なんてほとんど無かったんだ』とわかります。それなのに、『自分は音楽が好き』と思い込んでいたと、今はわかります。それは音楽がわかるということは高尚なことだと世間で思われていると気づいてそこにすり寄っていったのだろうと思います。美術もしかりです。

 それをこの頃、ユーチューブで音楽の動画を見ていて気付きました。

 最初のころは、自分も歌える演歌なんかをフルスクリーンで見ていました。それから、昔好きだった歌。それが、最近、ユーチューブサーフィンでカーソルを当てると画像だけでなく音楽まで聴ける動画があることに気付きました。それが上川ジョージというオーストラリアでワンマンバンドのストリートミュージシャンをしている方の動画でした。駅ピアノなんかの動画はたくさんあっても、どういうわけか音の出るものはほとんどなかったのです。

 次に、ゴールデンブザーというオーディション番組の動画がたくさん投稿されていて、その歌番組の部分を見るようになりました。オーディションと言っても皆さん、とても上手です。しかもずっと下積みだった方々は実力がある上にドラマ性があります。昔、スーザン・ボイルさんが認められるきっかけになった番組のようです。

 最近、私が見たのでは、ずっと学校の清掃員をしていた55歳のリチャード・グドールがみんなに背中を押されて初めて飛行機に乗って参加して、優勝していく様子。

 ガンの闘病を続ける歌手のナイトバードが、心境を歌ったオリジナル曲で『大丈夫、大丈夫よ』と歌って一次審査をパスしても、病気の悪化によって決勝には出られず、やがて亡くなったと発表された様子。

 世の中には、本当に才能のある素晴らしい人たちがいることを教えてもらった気がしました。

 更に最最近のユーチューブサーフィンではサラサーテのツゴイネルワイゼンをひく8歳の吉村ひまりさんのコンクールの動画を発見してお気に入りに入れてしまいました。私がただ一つ、素晴らしいとわかるクラシックはこの『サラサーテのツゴイネルワイゼン』だけなのです。

 昔、『歳を取るとテレビがお友達』という話がありましたが、この頃は「ユーチューブがお友達」です。