是々非々、政治的信条
この間の千葉県知事選での立花氏の、アンチがたくさんいたので、姫路の街宣の時だったと思いますが、そこでちょっとびっくりしてしまいました。
それまでずっと正義の士だと思って、尊敬して見ていたのです。たくさんの情報を得て、斎藤知事の正義を立証していたのです。でもその時、トランプさんの言葉そのままに、『ゼレンスキー氏は停戦を受け入れるべき』と言ったのです。『領土をあきらめて戦闘を止め、選挙をすべき』と言ったのです。
きっと情報が足りなかったのだと思うのですが、意外と権威主義的なところがあるんだなあと思いました。トランプさんが好きみたいです。
未来の人類にとって、トランプさんやマスクさんや中国の金持ちたちは王族になっていくのです。この間、『中国から帰化した人が、議席を買いたいと言ってきた』と憤っていたのに、『金の脅威を感じていたはずなのに』とがっかりしました。確かに政治の世界にお金は必要なのでしょうが。
N国党の助さん格さんやサキシルの新田さんは立花さんの影響力や正義感を称賛していても、「すべてに賛成しているわけではないが」との一言を入れています。確かに、政治的信条というのは個々人で、すべて統一できるものではないのでしょう。一つ一つ、譲れないところはあるものです。増山さんが立花さんの発信力を頼りにして情報を出したという恩はあったとしてもなかなかN国党に参加できない意味も分かるような気がします。
『是々非々』ですからと皆さん言いますが、一つの政策に、賛同者が集まってグループができますが、これが『非』の時はまた違うグループができるのです。
だから、自民会派だの、維新会派だの、愚の骨頂ですね。政策の下に人が集まるのが正しいのだと思います。
話はそれますが、この間、斎藤知事が県立大の卒業式で祝辞を述べている動画を見ました。その中で、言葉は正確ではありませんが、『これから先、いろんな難関に行き当たるでしょうが、自分が信じたことを黙々としていれば、きっと賛同してくれる人が現れ、助けてくれる人が現れる』というようなことを言われていました。立花さんへの最高の感謝の言葉だと感動しました。直接は言えなくっても。
『是々非々』です。でもトランプさんはだめです。駆け引きをする人はだめです。どこに誠があるのか見えません。誰も助けに来てくれませんよ。プーチンはもちろん来ません。