2013年11月15日金曜日

吐いた

 それまでも何度か感じてはいたのですが、案外短時間で収まってしまうので、『食べ過ぎたんだ』と思っていました。その腹いたの起こる間隔が回を追うごとに短くなり、苦しむ時間もだんだん長くなって行き、とうとうある晩、吐いても浣腸をしても、治まらないので、『これは駄目だ』と感じて、真夜中に仕事をしている娘に頼んで、近くの病院の救急センターに連れて行ってもらったのです。
 そこで、液しか出て来なくなるまで吐き続け、ふらつく足でトイレにも行っている間に、点滴や痛み止めの処置をして貰い、レントゲンや簡単なエコー検査もして貰いました。
 最初に聞かれたのは『今まで胆石と言われた事はありませんか』という事でした。何せ、長じてからはあまりお医者さんに行った事のない人ですから、そんな話になった事はありませんでした。結局、あまりはっきりした診断は下されず、一人の先生は『胆石』、もう一人の先生は『胆管炎じゃないかと思うから、なるべく早い時期に消化器内科を受診した方がいい』と言うアドバイスをくれて、痛み止めの座薬を貰って帰されました。
 翌日は日曜日で、痛くなると座薬を使って寝ていました。月曜日には約束があったので、少し治まった状態でやり過ごし、火曜日に何も食べずに消化器内科へ。きっと検査があるから、食べない方がいいと思っていましたが、実際食べられなかったのです。エコー検査の写真を見た先生は『胆嚢炎です。即入院』と言われましたが、翌日も約束があったのです。『すぐに入院は出来ない』というと、『それでは外来で直すようにしますか』と柔軟に言ってくれました。
 それでも、翌日も痛みが引かないのです。約束は娘が代わりに行ってくれると言うので決心して、夫に付き添われて、入院の準備をして再び病院へ、午前中に入院させてもらって、午後、『痛い、まだか』と待ちながら、やっと四時頃、胆嚢の膿を抜き取ってもらいました。
 二、三日、食事は出来ませんでしたが、痛みは無くなり、普通の状態に戻りました。その状態で周りを見回すと、その部屋は六人部屋でした。
 お隣は91歳のきれいなおばあさん。下痢と腹痛で入院したようです。長くいても治らないようで、最後は皆さん、どこかの施設に入ってもらって退院させようと躍起でした。頭のしっかりしたおばあさんの言った、『長生きも骨だ(骨が折れる)』という言葉がよく理解できました。
 その向こうの窓際は癌の患者さんだったようで、手術はもう出来ないと言われたようでした。その向かいの腸閉塞で入院したという若いお母さんに、「手術が出来るという事はまだ治る可能性があるという事だから、がんばりなよ」と言って励ましていました。一人暮らしだったけど、今度退院したら、息子の嫁さんが仕事を辞めて、子供達と一緒に来てくれると嬉しそうに隣のおばあさんに話していました。胆嚢の癌だと言っていたような気がします。退院後に陽子線治療を受けるのか、がんセンターのようなところへ行く紹介状をもらっていました。
 向かい側の真ん中のベッドは点滴だけのなれた感じの患者さんで三泊四日くらいで退院して行きました。
 出入口側の私の前のベッドは七十代後半の女性で、娘や息子は遠くに住んでいるので、八十代の夫を施設に預けて、町の介護タクシーに乗ってやって来たのだと言っていました。『これからはこういう人達が多くなるだろうなあ』と思わせるような典型的な例で、いつも『早く帰らなくては』と足掻きしていました。
 『みんなそれぞれに苦労があるのだなあ』と思いました。
 やがて、私はこのままでは何度でも胆嚢炎を引き起こす可能性があるので、胆石の手術を受けた方がいいと勧められ、消化器外科の偉い先生のところへ家族とともに行かされて、簡単な説明を受け、出来るだけ早い日程で手術をお願いしてきました。その為のMRIやCT、更には胃カメラは、そのまま入院して消化器内科で受ける事になったのですが、すべてが初体験の私は戦々恐々で、お向かいの彼女に話しましたら、彼女は既に七十代の前半の時に胆石の手術を受け、指輪に出きるほどのきれいな胆石を取り出してもらった、『何でもお任せした状態で、やってもらえばいいのよ』とアドバイスしてくれました。
 でも、その間にもショップにお客さんが来てくれたのです。娘が退院日を書いて待ってもらいました。ありがとうございます。